約 301,164 件
https://w.atwiki.jp/oreqsw/pages/1379.html
俺「ん・・・ふあぁぁぁ・・・今何時だ?」 目が覚めたが船室は外が見えない以上朝か判断できない。 仕方なく近くに置いてあったトリコーダー(*1)を見る。 俺「まだ5時半じゃないか・・・でも二度寝は出来ないし・・・」 横には席に座ったまま寝ている友の姿がある。眠気に耐えられなかったようだ。 友「すぅ・・・ふぅ・・・」 俺「外でも散歩しますか・・・」 ハンガーから出てそのまま基地の周りを歩く事にする。 外は少し明るくなっており、月も傾きかけている状態だ。俺はトリコーダーを持って周囲をスキャンしながら歩く。 俺「それにしても大きい基地だな。歩いて回るには良い運動だ」 海岸沿いをトボトボ歩いていると何かの声が聞こえる。誰が何をしているのだろうか・・・ 声のする方向に向かうと刀を構えた坂本少佐が立っていた。 坂本「烈風斬!」 海に向かって居合切りを行う。凄まじい衝撃波と共に海に亀裂が入った。 俺「お見事です。坂本少佐」 坂本「おお、起きたのか」 刀を鞘に納めるとこちらに向き合う。朝から元気なお方だ・・・ 俺「おはようございます。武術の訓練でしょうか?」 坂本「新しい技の鍛錬をしていたのだ。ネウロイと戦うためのな」 俺「実戦の訓練ですか?ウィッチは銃火器で戦うものだと思っていました」 坂本「確かにそうだが・・・」 俺「・・・突っ込まない方が良いようですね。鍛錬、頑張ってください」 坂本「待ってくれ。少し話したい事がある」 ハンガーに戻ろうとしようとした所を止められた。 俺「何でしょうか?」 坂本「まず一つ、お前と友が来ている制服は訓練するには不向きだと思うんだが・・・」 艦隊の制服は長い上着に厚手のチュニック、長ズボンで構成されていた。彼らの訓練には不向きだろう。 坂本「後その制服は...アー...非常に目立つ。ミーナの言い付けで整備兵には お前達の事を他に漏らさないようにと言ってあるが他の人間が見れば・・・ 俺「分かりました。後でこの時代に合う服に着替えます」 坂本「了解した。あともう一つ、食堂に食べに来てほしい。宮藤とリーネがお前達の朝食も用意している」 俺「ありがとうございます。今すぐ友を叩き起こして来ますよ」 俺は感謝の礼を述べるとハンガーに向かった。日の出は近いだろう・・・ 友「パンツ・・・パンツゥ・・・」 俺「朝ですよ~・・・おーきーろー!」 友「うぅぅ・・・! 朝ですか・・」 俺「色々用意する事が出来たのさ。コンピューター、20世紀の服の資料を出してくれ。運動に適した物を頼む」 眠たそうな友と共に新しい服を選ぶ事になった。 友「新しい服ですか?・・・これ良いと思いません?カッコイイですよ?」 俺「俺は派手なのは嫌だな・・・軍服から良さようのを選んで...」 俺「・・・着心地は良いな」 友「ちょっと違和感は有りますけどね」 資料から良さそうな服を選んで手直しをし、レプリケーターで複製してみた。 友「でも半ズボンにする意味ってあるんです?」 俺「足を出すのがこっちの文化だと思ってね。そろそろ時間だ。食堂に行こう」 友「食堂の位置ってどこなんです?」 俺「食堂の位置は・・・ミーナ中佐に聞いてなかった。スマン」 友「・・・シャトルのセンサーで捜してみま・・・あれ?」 滑走路にストライカーが着陸してきた。 俺「あの人はサーニャ中尉かな?聞いてみよう」 俺達はシャトルから出るとストライカーと武器を片付けていたサーニャ中尉の元に向かう。 俺「おはようございます!サーニャ中尉」 サーニャ「ビクッ・・・お、おはようございます・・・」 友「おはようございます。夜間哨戒ですか?」 サーニャ「コクコク・・・」 友「ふむふむ、それにしてもこの武器は面白そうですね。ロケット砲の一種のようですが・・」 サーニャ「それは・・・」 俺「友の事は放っておいて大丈夫です」 友は懐からトリコーダーを出すと武器のスキャンを始めていた。 俺「サーニャ中尉、食堂の位置を教えてもらいたいんですが・・・」 サーニャ「あっち・・・」 サーニャ中尉はハンガーの奥の扉を指さした。 サーニャ「あの通路の奥に・・・」 俺「ありがとうございます」 友「爆薬の種類は特定不能・・・このサイズの破壊力は一体どうなのか・・・」 相変わらず友は武器を調べている。 サーニャ「では私はこれで・・・」 そのままサーニャ中尉は食堂とは違う方向の扉に向かっていく。 俺「食堂には行かないんですか?」 サーニャ「ビクッ・・・わ、私は先に寝させてもらいます・・・」 俺「そうですか・・・おやすみなさい、サーニャ中尉」 友「おやすみなさいです、サーニャ中尉・・・コレを開発した開発者はどういった方なんでしょうね・・・」 サーニャ「コク・・・タッタッタッタッ...」 そのままサーニャ中尉は早足で走って行ってしまった・・・。 俺「嫌われちゃったのかな?」 友「ただ単に照れ屋さんだと思いますよ?」 俺「そうなら良いんだが・・・朝食を食べに行こう」 シャーリー「お?俺と友じゃないか。おはよ~」 ルッキーニ「おはよー!」 俺「おはようございます」 俺達は何とか食堂までたどり着き、席に着いた。 宮藤「おはようございます!食事をどうぞ!」 俺「おお、これは日本、いえ扶桑食ですね・・・」 リーネ「食べた事があるんですか?」 俺「少しだけですが・・・」 友「これは海鮮スープですか?ズズズ...美味しいですね!」 俺「ふむ、中々栄養バランスも取れている食事ですね。塩分は多めな気がしますが」 「この発酵した豆って何です?」「納豆です。美味しいですよ?」「特殊な菌を使ってるようですね...後で研究したいな」 「漬物もどうぞ!」「ご飯のおかわりありますか?」・・・ ペリーヌ「あんなくさっ・・納豆を美味しそうに食べてますわね」 エイラ「どうやらあの宇宙人、ここの食事が気に入ったようだナ」 坂本「食いっぷりはかなりあるな・・・俺と友は食べ終わったら格納庫まで来てくれ。訓練を行う」 俺「モグモグ...ゴク...了解です」 友「了解です。あ、その豆調べるので少し分けてくれませんか?・・・ 俺「ハァハァ・・・食いすぎた・・・腹がぁ・・・ウエェェ」 友「ハッハッ・・・訓練がマラソンなんて聞いていませんよぉ・・・」 食事を終えて(結局俺達は何回もおかわりした)意気揚々と格納庫に来たまでは良かったのだが・・・ 友「ハァハァ・・・誰だっけ、杖を振るとか言ってた人は・・・」 俺「予想だからしかたないだろぉ・・・ウップ・・・」 坂本「よし、そこまでで良い!」 俺 友「ハァハァハァ・・・」 坂本「どうやら体力はあるようだな」 俺「ええ、艦隊のアカデミーでマラソンをしましたから・・・ハキソウ・・・」 友「・・・ボー」 坂本「少し休憩を入れよう。10分後に格納庫で続きを行う」 友「リョウカイデス・・・」 友「これがストライカーユニットですか・・・中々大きいですね」 坂本「とりあえず履いてみてくれ」 俺「この中に両足を入れるんですね?素足で」 俺達はとりあえず足を突っ込んでみた。 友「足の中は別次元になっているんですね。この技術を応用出来れば・・・」 俺「・・・どうやって動かすんです?」 坂本「とにかく動くように念じろ!」 友「ずいぶんアバウトな命令ですね」 俺(とりあえず・・・動け・・・動いてくれ・・・) 友も念じているのか顔をしかめている。 ストライカーから翅が生えてゆっくりと回転を始めている。僅かに浮力も発生し始めた。 そのままエンジンの回転数は急激に上昇し、勢いよく風を巻き込み始める。 友「凄い推力です・・・これなら時速500km以上は出せそうですね」 俺「これが魔法の力・・・」 俺達の世界では宇宙艦が光速の千倍以上で航行し、小さいシャトルでも秒速数千キロ以上は出せる。 だがストライカーユニットはそれらとは違う何かを感じさせてくれた。 俺(楽しいな・・・) エーリカ「お、やってるようだね~」 声のする方向を見るとエーリカ中尉とバルクホルン大尉がこちらを見ていた。 バルクホルン「飛ぶ素質は十分あるようだな」 坂本「おお、丁度良い所に来てくれた。彼らをこれから飛ばしてみようと思う。手伝ってくれないか?」 俺 友「これから飛ぶんですか?!」 坂本「そうだ。お前達なら飛ぶくらい簡単に出来るだろう 「無論お前達をそのまま空に放りだすとは言ってない。彼らがアシストする。指示の通りに飛ぶだけだ」 俺「そ、それは安心ですね・・・」 坂本「そういう訳だ。バルクホルンは俺と、エーリカは友とペアになってくれ」 エーリカ「りょ~かい~」 バルクホルン「了解した」 そういって彼らは横にあるストライカーユニットを起動させる。 そのままホバリング状態で俺達の横に着く。かなりの操縦能力を持つようだ・・・ 坂本「簡単な操縦技術を教えてやってくれ。任せたぞ」 バルクホルン「了解。俺、私と肩を組んでくれ」 俺「分かりました」 俺(バルクホルン大尉ってかなり体格が良いんだな・・・) バルクホルン「どうした?」 俺「い、いえ何でもないです//」 友「肩の位置が合いませんね・・・」 エーリカ「だって友って身長高いじゃん~」 友は俺よりも背が高い。見た目だけなら宇宙艦の保安部員にも見える風貌だ。 友「そう言われてもどうしようも無いですよ。まぁ飛んだら関係無いでしょうし」 バルクホルン「用意出来たなようだな・・・これから訓練飛行を行う」 友「イヤッッホォォォオオォオウ!」 エーリカ「張り切ってるねぇ~」 バルクホルン「・・・彼の操縦能力は確かなモノだな」 俺「そのようですね・・・」 彼女達に付き添われて飛行を行い、簡単な機体の制御を教わった。 俺は旋回が出来る程度にはなったのだが・・・ エーリカ「確か友ってあのシャトルを操縦してたんだっけ?」 俺「ええ、そうです」 バルクホルン「一般的に飛行機の操縦が出来る者は上達し易いと聞いてたが・・・」 俺「シャトルの操縦は自動で行われるのが普通なんですけどね」 あのシャトルは恐らく艦隊で唯一の"操縦桿で操縦する艦艇"だろう。 友「艦隊では脳内シナプスで船をコントロールする技術があると聞きましたが、これはそれを遥かに超える機体ですよ!」 「自分の思うがままに動く・・・なじむ。実になじむぞ!」 俺「それは良かったな・・・ハハハ」 友は楽しそうに空を舞い(エーリカ中尉はずっと見てるだけだった) 俺は地道にバルクホルン大尉から操縦法を教わっていたのであった・・・。 訓練が終了した後(友はもっと飛びたいと不満そうだったが)食堂で夕食をいただく事となった。 友「モグモグ・・・おかわりお願いします!」 リーネ「どうぞ~」 ミーナ「まったく子供のようね・・・」 俺「もし食料面で不足が出るなら... ミーナ「大丈夫です。余裕はありますし、どんどん食べて下さいね?」 俺「すみません。後バルクホルン大尉に貸してもらいたい物があるんですが」 バルクホルン「ん?何だ?」 俺「飛行技術の教本とこの基地の地図を貸して貰えないでしょうか?道に迷わないようにしたいので 他にも世界地図も貸してもらいたいです」 友「モグモグ・・・私もストライカーユニットに関する資料を貸してもらいたいですね」 バルクホルン「教本は持っているが他は持ってないな。中佐は持っていますか?」 ミーナ「地図は私から貸します。ストライカーの資料は・・・」 シャーリー「あたしから貸そう。後明日空いているなら実物を見ながら教えるがどうだ?」 友「有り難うございます。訓練が終わった後に行かせてもらいますね」 友「地図のデータをコンピューターに反映させておきました。トリコーダーからも呼び出せるようにしておきます」 俺「分かった。船の点検は終わらせておいたよ。もう寝た方が良いぞ?明日も訓練だろうし」 友「うーん...私は眠たくなるまでこの資料を読んでおきます」 友は横の席に腰掛けて資料を読みながらコンピューターにアクセスし始めている。 俺(俺も教本を読んでおくか・・・)
https://w.atwiki.jp/nekogoya/pages/104.html
「ち、ちょっと待て……?」 美奈代は自分の周囲を見回して青くなった。 「完全に包囲されています!数10!」 どういうわけか、美奈代は都築が相手にしている1騎を除いた敵10騎に、一瞬のうちに包囲されていた。 理由は簡単だ。 塹壕に飛び出した1騎の“赤兎(せきと)”と斬り結んだ都築騎の“鳳龍”だったが、まるで“赤兎(せきと)”に翻弄されているかのように、塹壕から離れ、奧へ奧へと動いていったのだ。 “赤兎(せきと)”3騎を切り倒した所でそれに気づいた美奈代は、そのがら空きの背にぞっとするほどの危険性を感じ、都築騎を追った。 その結果がこれだ。 すぐ間近では都築騎がいまだしつこく追ってきた“赤兎(せきと)”としのぎを削っている。 なら自分は都築に助太刀するか? 否。 そんなことしている余裕はない。 都築が追った“赤兎(せきと)”は逃げたのではない。 通信が通じないと判断し、後詰め部隊に直接増援を求めに動いたのだ。 当然、そこには後詰めの部隊がいた。 美奈代は、そのまっただ中に飛び込んだのだ。 “赤兎(せきと)”達が、美奈代騎を取り囲んでいる。 1対10。 どう考えても、マトモに勝負を挑むだけムダなレベルの戦力差だ。 今更、間違えましたは通じないだろう。 「だっ、脱出は!?」 普通、こういう時、一番最初に考える対処方法を美奈代が口にしたのも当然なのだ。 「不能!」 牧野中尉は言った。 「私だけでしたら脱出装置で可能ですが、自爆装置作動しますよ!?」 「“さくら”も!」 精霊体ですら言った。 「マスター!自爆するなら、エンジン、エジェクトしていい?」 「薄情者ぉっ!」 ピーッ! 背後から2騎、同時に斬りかかってきた。 「都築っ!貴様ぁっ!」 一騎と押し合いになっている都築は全く頼りにならない。 返事すらない。 「2騎、5時6時方向!」 「ちいっ!」 美奈代は自分から急速後退をかけつつ、シールドと斬艦刀の切っ先を後ろへ向けた。 ガンッ! まさか敵が自分から飛び込んでくるとは予想していなかったのだろう。 振りかざした青龍刀を振り下ろすタイミングを逸した“赤兎(せきと)”達の腹部装甲に、同時に斬艦刀とシールドのエッジがめりこみ、2騎の脚が衝撃に宙に浮いた。 ズンッ―――ズシャッ 美奈代はエモノを敵の腹から引き抜いた。 それが始まりだった。 美奈代は飢えた狼同然に、“赤兎(せきと)”達に襲いかかった。 反応が遅れた“赤兎(せきと)”の胴を横薙ぎの一撃で切断、その切っ先を、真横の騎に起きた惨劇に狼狽する、別な“赤兎(せきと)”の胸部装甲の隙間に叩き込む。 「何っ!ば、ばかなっ!」 「隊長殿がっ!」 さすがに肝を潰したのは、“赤兎(せきと)”の騎士達だ。 中華帝国の精鋭達4騎が、剣を交えることもなく潰された。 そして、先程の2騎が大地に崩れ落ちるよりも早く、メサイアは動いた。 「に、日帝の騎は悪魔か!?―――ヒイッ!」 横に薙ぎ払う長剣の一撃をかろうじて避けた“赤兎(せきと)”の騎士だったが、真っ正面から放たれたシールドのエッジアタックまでを避けることは出来なかった。 グシャッ! グギャッ! 何かが壊れる音と、蛙が潰されたような音を残して、騎士と共に“赤兎(せきと)”が吹き飛ばされた。 「あ、悪魔だっ!白い悪魔だっ!」 「に、日本軍は死に神だっ!」 騎士達からは恐怖の叫びが聞こえて来る。 「ど、同時に行けっ!」 誰かが叫ばなければ、彼らは武器を捨て逃亡したろう。 もう、彼らには恐怖はあっても戦意はなかった。 持っているモノと失ったモノ。 それを逆転したのが、そんな一言だ。 「同時なら何とかなるっ!」 美奈代騎から最も離れた騎からの声。 それが、騎士達を地獄へと導く。 この地に降り立った死に神は、まだ獲物が足りませんと―――。 「お、応っ!」 美奈代騎から見て、左斜め正面と右斜め後ろの騎が同時に動いた。 左斜め正面の騎が槍を突きだし、左斜め後ろの騎が青龍刀で襲いかかる。 槍の切っ先が、メサイアのがら空きの胴に吸い込まれようとしている。 ―――殺った! 槍を繰り出した騎士は、勝利を確信した。 だが――― ガッ! 「何っ!?」 メサイアは、騎体を最小限ひねるだけで槍を回避。 あまつさえ、繰り出した槍を掴むと、力任せに引っ張った。 「しまったっ!―――うわぁぁぁっ!」 出力差が違いすぎる。 グンッ! 槍を繰り出さした勢いに、敵騎のパワーが加わった“赤兎(せきと)”は、槍と共に後ろに放り投げられた。 その先には――― 「避けろっ。黄っ!」 その叫びは遅かった。 彼の槍は、後ろから襲いかかろうとしていた仲間の“赤兎(せきと)”の胸部装甲を貫通した。 「黄ぉぉぉっ!」 騎士は味方騎に突き刺さった槍を手放そうとしたが、 ザンッ! 気づいたときには、斬艦刀が、彼を騎体ごと切断していた。 「畜生っ!」 生き残った3騎は自暴自棄同然の突撃にかかった。 剣を並べ、3騎同時の突撃で串刺しにしようというのだ。 「仲間の敵だっ!」 「死ね、小日本(シャオリーベン)!」 「消えろ悪魔っ!この世からっ!」 黄騎に突き刺さった槍を引き抜いたメサイアが彼らの視界に迫る。 ―――キュイッ メサイアは、左手で槍を構えると、左の騎に襲いかかった。 「この程度!」 左の騎を駆る騎士が青龍刀を振り下ろして槍をうち払う。 青龍刀を振り下ろしきった途端――― メサイアは、急加速をかけ、相互の間合いを一瞬で詰めた。 「―――ひっ」 騎士は、慌てて青龍刀を構え直そうとしたがもう遅い。 ガンッ! エッジアタックをモロに喰らった“赤兎(せきと)”はくの字に曲がって吹き飛び、すれ違い様に真ん中の騎が胴を薙ぎ払われ、上下二つに分離させられた。 「―――なっ!?」 動きが早すぎる! 目を見開くのは、最後に生き残った騎士。 彼は逃げるために騎体を旋回させようとした。 だが、それより早く、斬艦刀の一撃が、彼の騎に襲いかかってきた。 「……か、各部異常……なし」 震えを通り越して、涙声になった牧野中尉が言った。 「後は……都築准尉が相手する1騎のみ」 「……ぜぇ、ぜぇ……」 その間、美奈代は、肺に無理矢理空気を送り込む要領で、肩で息を続ける。 言葉が出てこない。 自分がやってのけたことが理解さえ出来ていない。 その横では、“さくら”がびっくりした顔で美奈代を見つめていた。 「ま、牧野中尉……ゲホッ……い、生きてます?」 ようやく喋れたのはそんな言葉だけ。 それでも、喋れるだけ奇跡だと思う。 「生きてますけどね……。正直、どう言っていいんでしょう……こういうの」 足下は“赤兎(せきと)”の残骸だらけ。 まるで集団戦闘の跡さながらだ。 だが、間違いなくこの敵を残骸にしてのけたのは、この娘ただ一人だ。 「10騎を……30秒かかってませんよ?どこのアニメですか」 「き、騎士のスピードなら、この程度……」 「ひ、非常識です」 美奈代が何かを言い返そうとした時だ。 ギャンッ! 都築に襲われていた“赤兎(せきと)”がついに力尽きた。 まるでメサイアそのものが悲鳴をあげたような音を立てた“赤兎(せきと)”は、騎体の半ばまでたたき割られ、動きを止めた。 「次っ!」 “赤兎(せきと)”が倒れる音を聞きながら、都築は怒鳴るが、 「何がだこのバカっ!」 美奈代はたまらず怒鳴った。 「一人でんなマネしてる間に、私が何騎相手にしたと思ってる!」 「あ?」 都築が見ると、周囲は“赤兎(せきと)”の残骸で埋め尽くされていた。 「おいっ!俺の獲物は!?」 「10騎だぞ!?1対10だったんだ!」 肩で息をする美奈代が半泣きになって怒鳴る。 「グスッ……。一斉に私めがけて襲いかかってきたんだ!滅茶苦茶怖かったぞ!?どうしてくれる!貴様は全く!」 「俺を放っておいてスコア10騎だと!?」 「問題はそこか!?」 怒鳴るというか、突っ込んだ格好になった美奈代騎の背後で、連続した大きな爆発が発生した。 「な、何?」 もうもうと立ち上る黒煙は、かなり大規模な攻撃であることを告げていた。 「艦砲攻撃です」 牧野中尉が言った。 「で、でもあっちって」 「着弾点は、上陸地点です」 「海軍の誤射ですか?」 「まさか」 牧野中尉は否定した。 「いくらなんでも、そこまでマヌケではありません」 「じゃあ―――」 「落下から見て攻撃は山の向こうからです」 美奈代は、間近にそびえる山を見た。 標高は数百メートル。 そう高い山ではない。 また、新たに爆発が発生した。 「艦砲の支援、求めますか?」 「それもいいんですけど」 牧野中尉は言った。 「金剛隊はもう移動する時間です」 「そんな!」 「他上陸地点もかなり苦戦しているんです。艦砲射撃支援は、全部隊が渇望している。中華帝国も死に物狂いですからね」 「二宮教官達は?」 「通信つながらず」 「―――ちっ!」 美奈代はチラリと横に立つ都築騎を見た。 「都築」 「やるしかねぇだろ」 都築はコクピットで、開いた左手に右手の拳を叩き付けた。 「戦艦沈めたなら勲章モノだぜ」 「やれるか?」 「やるさ」 「信じられないが―――牧野中尉。一気に山を越えて斬り込みます。いいですか?」 「やってみましょう」 牧野中尉は、騎体のブースターに火を入れた。 「さくら―――いくわよ?」 「はいっ!」 「あ、おいっ!ちょっと待てっ!」 都築の声を残し、美奈代騎は一気にブースターを開いて、山を飛び越える機動に出た。 ―――そして、自分のうかつさを本気で呪った。 美奈代は、山の向こうに、大口径の砲兵陣地があると判断していた。 砲兵陣地を強襲、これを殲滅する。 美奈代は自分の目標を、そう判断していた。 相手は砲兵陣地だと。 だが、都築は言っていた。 「戦艦沈めたなら勲章モノだぜ」 何故、都築が「戦艦」という言葉を用いたか、美奈代は何も考えず、都築に聞こうともしなかった。 その結果がこれだ。 山を飛び越した美奈代が見たモノ。 それは、だだっ広い平原に陣取る“鉄のフネ”だった。 “鉄のフネ” 即ち、軍艦だ。 灰色に塗装された船体が美奈代の目の前で移動している。 「な……何で?」 美奈代は目を疑った。 フネは水に浮かぶものだ。 陸を移動するものではない。 「准尉っ!」 牧野中尉の鋭い警告が飛び、“征龍改”はブースターを開くと、山の谷間に飛び込んだ。 向こうも、山越えに飛び出してきた美奈代騎に十分な対応が出来なかったらしい。 幸いにも美奈代騎が山の谷間に騎体を沈める間、フネからの攻撃は一発も飛んでこなかった。 「な、何ですか!?アレは!」 美奈代がコクピットで思わず大声で牧野中尉に訊ねた。 「艦名不明。艦形状、ライブラリーに照合なし」 牧野中尉は言った。 「現物は―――私も初めてみました」 「いくら何でも、なんで地面にフネがいるんですか!?」 「―――陸上戦艦」 「は?」 「陸戦艇(ランドバトルシップ)ともいいます。飛行艇のような完全な浮遊装置ではなく、FGF(フリーグラビティフィールド)を応用したホバー移動で陸上、水上お構いなしに走行可能の艦船です」 牧野中尉は思いだしたように言った。 「……また、座学で寝てたことが発覚しましたね」 「一々覚えていないだけです!」 美奈代は泣きそうになって怒鳴った。 「何で一々、私が忘れていることを、寝てた寝てたって!」 「本当のことでしょう?」 「ううっ!」 ズンズンズンズンズンッ! 山の斜面で連続した爆発が発生した。 その陸戦艇が、何かを狙って発砲したらしいことは、美奈代にも容易に想像がついた。 着弾で吹き飛ばされた土砂が容赦なく降り注いでくる。 「おい泉っ!」 都築の“鳳龍”が美奈代騎の横に滑り降りてきたのは、その時だ。 “鳳龍”が、砲撃を連れてくるような、そんな錯覚さえ起こしてしまう。 「あ、アブねぇ!」 敵の狙いは都築騎だったらしい。 「大丈夫か?」 「それはこっちのセリフだ!」 都築はくってかかった。 「強行偵察だけで済むだろうが!」 「……え?」 「えっ!?じゃないだろう!」 美奈代の素っ頓狂な声に、都築は思わず怒鳴った。 「まだ戦艦の有効射程だ!戦艦に叩かせればいいだろうが!」 「だ、だけど通信が」 「後退して通信つなぐって考えがどうしてわかない!」 「……すみません」 「くそっ!何で俺は……」 「……え?」 「なんでもねぇよ!」 美奈代の目の前で、都築騎が動き出した。 「ね、ねぇ、ちょっと!」 美奈代が止めようとするが、都築は言った。 「さっき、メサイアを3騎確認した。俺が引きつけるからお前は下がれっ!」 「な、何なのよ……」 美奈代は頬が赤くなるのを抑えられなかった。 都築がこう呟いたように聞こえたからだ。 ―――何で俺は、こんなの好きになっちまったんだ。 美奈代の目の前で、さくらがニマニマと、まるでチェシャネコのような表情をしている。 その表情から、どうやら聞き間違いではないらしい。 そう判断した美奈代は、まるで恥ずかしさから逃れるように、美奈代はブースターを開き、谷間から飛び出した。 ……何も考えずに。 ズンズンズンズンッ!! 谷間から飛び出した途端、待ちかまえていたように美奈代騎を陸戦艇の砲火が包み込んだ。 命中弾こそ出ていないが――― 「くっ!」 牧野中尉は、上昇を諦め、急速降下に切り替えた。 それが幸いした。 美奈代騎の上昇コース。山頂から若干下付近に、陸戦艇の主砲弾が着弾した。 タイミングを間違えれば―――考えたくないオチがついただろう。 「……正解だったわね」 背筋を流れる気持ち悪い汗を感じながら、牧野中尉はそう呟いた。 「泉准尉の悪運が移ったかしら」 「何か言いましたか?」 美奈代は背部にマウントしてあった速射砲を取り出した。 35ミリガドリング砲が軍艦相手に聞くのかは、試してみるしかない。 「中尉―――相手の武装は?」 「どう見ました?」 「37ミリ機関砲……いち、に」 「……6門です」 目をつむって飛んで来た火線の数を思い出そうとした美奈代に、牧野中尉は言った。 「両舷併せて推定12門。25ミリ砲もかなり積んでいますね」 「プラス40センチ砲?……でも、40センチにしては破壊力が」 「残念―――60センチ臼砲(きゅうほう)です」 牧野中尉は言った。 「60センチ!?」 「ええ……カール自走臼砲(きゅうほう)の後継モデルを参考にしたんでしょう。何しろ、陸戦艇そのものが、ドイツの―――きゃっ!?」 美奈代は“征龍改”を急速移動し、その一撃を避けた。 谷間めがけて高角度で臼砲(きゅうほう)を放ったらしい。 砲撃は初弾で谷間に飛び込んできた。 砲弾は美奈代騎がいた辺りに見事に落下、辺りを跡形もなく吹き飛ばした。 美奈代は知らないが、この時発射された60センチ臼砲(きゅうほう)の砲弾は一発約2トン、高性能火薬500キロが入った代物だ。 ―――敵の砲術長は、いい腕をしている。 美奈代は素直に感心した。 臼砲(きゅうほう)の射撃がどの程度難しいかは知らないが、さっきの砲撃といい、その技術は申し分ない。 何だか、それが恐ろしくもったいない、そんな気分になった。 「―――中尉っ!」 美奈代は、そんな気分から逃れようとするかのように、怒鳴った。 「あいつを仕留めますっ!」 「ど、どうやって!?」 「やってから考えますっ!」 「そんな無茶な!」 美奈代は、牧野中尉の意見をそれ以上聞かなかった。 聞く前に、美奈代は“征龍改”を突撃させていた。 中華帝国陸軍陸上戦闘艇“玄武”級ネームシップ“玄武”。 それが、美奈代の目の前にいる艦の名である。 全長220メートル。後部甲板に飛行甲板があり、ヘリやVTOLの運用が可能。 メサイアの移動ベースとしても申し分ない輸送力を持つ。 元は中華帝国で飛行艦を運用する海軍によって、新型飛行艦として開発されたが、飛行システムの不具合から、完成してみたらホバー移動のみ可能という、飛行艦としては致命的な欠陥品だった。 試験も中止され、岸壁に放置されていたものを、広大な大地を防衛する陸軍が、高い走行性能と陸上の移動手段としては破格の輸送力に着目し、海軍からスクラップとして譲り受けた後、“飛行艦ではなく陸戦艇だ”と主張し、同型艦の独自開発と運用を開始したという、いわくつきの代物だ。 「3時方向、メサイア1、接近しつつあり!」 陸上では的になりかねないことから、低く設計された艦橋の上。装甲板が張り巡らされた防空艦橋で見張りが叫ぶ。 砲塔旋回と射撃警告それぞれのブザーが入り交じってその叫び声をかき消す。 船体前面に設置された40センチ砲塔がゆっくりと右舷に旋回、照準を合わせた。 ズンッ! 鼓膜がどうにかなったんじゃないか。 本気でそう思うほどの砲声をあげ、40センチ砲が火を噴いた。 船体が砲撃の衝撃で大きくぶれる。 メサイアの背後、かなり遠くで爆発が発生した。 「砲撃遠いっ!」 艦橋で着弾を確認した艇長は怒鳴った。 「近すぎて主砲では無理だ!それ以外の砲で仕留めろっ!」 「―――くっ!」 飛び来る機関砲弾の嵐に襲われた美奈代は、騎士としての反射能力だけで飛来する砲弾を回避するハメになった。 「こっちに満足な対艦攻撃装備がないからってぇっ!」 ギュインッ! ギャンッ! 機関砲弾がメサイアをかすめる、背筋の寒くなるような音がレシーバーに次々と入ってくる中、美奈代はオレンジのアイスキャンディーにしか見えない砲弾や、目の前で発生する爆発を全てかわしきった。 メサイアを世界最強の兵器へと押し上げたのは、まさにこの時見せた美奈代のような、騎士の反射能力を、メサイアが機械として反映させることが出来るからに他ならない。 騎士こそがメサイアであり、騎士故に、メサイアは世界最強なのだ。 メサイアの前に、いかなる重武装を施した要塞然とした存在であろうとも、全くの無力であることが今、証明されようとしていた。 「畜生!当たれっ!」 「バケモノがぁっ!」 兵士達が必死に撃ち出す砲弾をメサイアはすべてかわしてしまう。 「弾種切り替えろっ!弾種を近接信管に!」 怒りのあまり、艦橋のヘリを殴った砲術長は叫ぶ。 「着発信管なんて使うな!相手は戦車じゃないんだぞ!」 もし、この陸戦艇を運用しているのが海軍なら、少しだけ状況が違ったかもしれない。 陸軍兵士達がこの陸戦艇で想定していたのは、戦車であり、機関砲は接近する戦車を破壊するための存在として位置づけられている。 航空機を撃ち落とすための近接信管の使用は例外的扱いだ。 何しろ、機関砲は海軍からのお下がりで、手動操作する代物にすぎず、高速移動する物体に対する対空砲として使える代物ではない。 だが、この近接信管を最初からメサイアに使用していたら、かなりのダメージを与えることは出来たろう。 兵士達が対空砲の射撃を停止し、弾薬を交換するその間に、美奈代騎は玄武の懐に飛び込んだ。 右手に装備した35ミリ機動速射野砲の至近射撃が、艦の構造物を滅茶苦茶に引きちぎる。 それまで美奈代達に向けて砲弾を放っていた機関砲達は、兵士達と共に挽肉にされた。 兵士達の呆然とする顔。 恐怖にひきつる顔。 泣き出す顔。 美奈代は、その全てを見た上で、彼らめがけて引き金を引いた。 罪悪感とか、恐怖感とか、そんなものは何もなかった。 ただ、機械的に引き金を引いた。 美奈代自身、そこには一切の感情は、なかった。 兵士達が砕かれる光景の後、美奈代は斬艦刀を構えながら“征龍改”をジャンプさせ、艦橋に飛び乗った。 自重数百トンというメサイアの重量で艦橋が一瞬で潰れる。 美奈代は、騎体が沈み込む中、騎体のバランスをとると、35ミリバルカン砲を玄武めがけて叩き込んだ。 軍艦とはいえ、35ミリ砲弾の雨を浴びることは想定されているはずばない。 艦中央の機関部冷却システムが破壊された玄武はつんのめるように急停止し、内部の熱の出口を失った機関部から、得体の知れない音が響き始めた。 その音を聞いた美奈代は、再び騎体をジャンプさせると、35ミリ砲の残弾を、玄武への土産とばかりに乱射した。 美奈代騎が大地に降り立った時、玄武はその姿を、立ち上る黒煙へと変化させていた。 「戦果としては申し分ないですね」 牧野中尉がねぎらうように言う。 「陸戦艇1、メサイアがじゅう―――」 ピーッ! 突如、コクピットに鳴り響いた警報。 牧野中尉の鋭い声。 「砲弾飛来警報っ!」 スクリーンが一瞬、真っ白になった次の瞬間――― 空気の壁に叩き付けられたような衝撃が美奈代を襲った。 激しくシェイクするコクピットの中。 美奈代は意識を失った。 end
https://w.atwiki.jp/vip_sw/pages/157.html
Wikiのようにこうすりゃいいんだろ?
https://w.atwiki.jp/boonshousetsu/pages/242.html
[( ^ω^)ブーンが拗らせた童貞を武器に戦うようです 第三話]はかなり長いため、纏め人が勝手に前編後編に分けさせてもらいました。 スムーズに見たい方には申し訳ないですが、前編・後編を見ていってください。 尚、前々から気になってなられる方が多いようですが、途中で終わっている作品は終わっていない作品、作者が逃亡した作品ですのでご理解お願いします。 そして、@wikiのプラグインが小説の内容で勝手に作動してしまう場合があり、その場合大きく小説が崩れる可能性があります。ご理解お願いします。 (例) (*1) ブルブル、寒いお 正しくは、(( ^ω^)) (‘‘)* ニコ厨とは言わせねえだ 正しくは、*(‘‘)* その他etc... その面での理解とご協力をお願いできると嬉しいです。 第三話 前編 第三話 後編 TOPへ 戻る 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/minnasaba/pages/846.html
X X X X X 水佐波市の外れには一軒の古書店が存在する。 狭い店内には至る所に書物が天井近くまで積み上げられ、足の踏み場もなく、 その奥には煙管を咥えた甚平姿の男が暇そうな顔で店の本の頁を繰っているという。 六、七十年前から時間が止まったかのようなその古書店に、客が訪れることは殆どない。 何せその店に足を踏み入れるには“結界”を越えなければならないのだから―― 「んー……」 まだ正午を回ったばかりだというのに薄暗い店内の一番奥で、 古書店の主人、蔵馬鉄人は新聞をめくっていた。 『早くも猛暑到来? 市内各所で今年最高気温を記録 熱中症に注意を』 『地デジ完全移行 対応テレビ求め列 市内の家電量販店は軒並み在庫切れ』 『市内の動物園で飼育されていたライオン(六歳 オス)が急死 遺体は専門家の元に搬送』 『台風6号 来週にも最接近 気象庁が発表』 地域欄にざっと目を通す。見たところ、これといって目に付く記事はない。 水佐波市は今日も平穏だ。……少なくとも、表向きは。 「まだ“事”は始まっていないのか、それとも……」 「鉄にぃいいいいいい!!」 突如、かび臭い店内に甲高い叫びが響き渡った。 鉄人は新聞紙を机に置く。その向こうにいたのは…… 「……な、夏海!? お前学校はどうしたんだ!?」 「それどころじゃないんだよ!」 高坂夏海。額から汗を流し、呼吸を荒らげた彼女がそこに立っていた。 そしてその後ろに、 「ちょっ……そんなに強く引っ張らないでください!」 もう一人、夏海と同じ制服を着た少女がいた。 彼女も肩で息をしながら、困惑した表情で夏海と鉄人を見ている。 「突然こんな所に連れてきて……一体何のつもりなの? 夏海」 「えーと、話すと長くなるんだけど、この人は蔵馬鉄人って言ってあたしの親戚のお兄さんなの。鉄にぃ、この子はあたしの友だちの志那都みこと」 志那都みこと。その名は鉄人も何度か夏海から聞いた覚えがあった。 志那都家の一人娘。都市開発企業の役員を両親に持つお嬢様。 最近彼氏が出来たせいで遊んでくれないとかなんとか…… 「その子が一体どうしたって言うんだ? そもそも此処にはあまり他人を連れてくるなと前にも……」 「これ見て! これ!」 夏海が強引にみことの制服の袖を捲り上げる。 顕になる白い二の腕。そしてその上にくっきりと浮かび上がった文様に鉄人は目を見開いた。 「これってさ、やっぱアレだよね……」 「あ、ああ間違いない……」 「……あなたたちさっきから何を言ってるんですの?」 みことが怪訝な表情を夏海と鉄人に向け、二人は顔を合わせて眉を顰める。 「何て説明したらいいんだろうな……みこと君、と言ったね?」 鉄人が頭を掻きながらみことに向けて言った。 「君は選ばれてしまったんだ――この、聖杯戦争の“マスター”に」 X X X X X 「……………………というわけなんだ」 「というわけなんだよ、みこと」 「というわけなんだ、と言われましても……」 聖杯戦争。 その概要を説明されても、みことの頭には困惑しか浮かんでこなかった。 一体どう受け止めろというのだ? 遥か昔に死んだ英雄の魂を現世に召喚して闘わせる……そんな儀式がおこなわれているなどと言われて。 「信じられないのも無理はない。けど君の腕に現れた文様を見る限り間違いない。 それは令呪と言って、聖杯戦争の参加者に選ばれた証であり、それを使えば召喚した英霊……サーヴァントのあらゆる行動を律することが出来る絶対命令権でもある。 夏海もそうだったが、君も何かの偶然でサーヴァントを召喚してしまったのかもしれない」 「それは……はい、心当たりは」 みことは昨晩のことを思い出す。 祭殿で祈りを捧げていた自分の前に、雷光と共に現れた何者かの姿を。 やっぱりあれは……夢ではなかったのだ。 「……でも、わたくしの前に現れた者は、すぐにどこかに行ってしまいましたけど」 「じゃあみことはサーヴァントとちゃんと契約してないってこと?」 「契約? 何ですの、それは?」 みことは首を傾げ、夏海と鉄人は不穏な表情を浮かべる。 「通常なら呼び出されたサーヴァントが召喚者を確認して契約を締結させるはずなんだが…… 陣も呪文もなしで強引に召喚したせいでサーヴァントの記憶に不備が出たのかもしれない。 或いは、運悪く精神の錯乱した英霊を呼び出してしまったという可能性もあるが」 「はぁ……」 鉄人の言葉に、みことは溜め息の混じった返事をかえす。 いまいち要領を得ない話しだが、何にせよ自分がおかしな事態に巻き込まれたことは間違いないらしい。 はぁ、とみことはもう一度深々と溜め息をついた。 どうして自分なんかが……しかもよりによって“こんな時”に…… 「一体、誰が何のために、そんな訳の分からないことを始めたと言うんですの……?」 「主催者が何者なのかは現時点では分からない。だが目的は間違いなく聖杯の入手だろう」 「聖杯……ですか」 「そう、聖杯を手に入れて己の願いを叶えること。聖杯戦争はそのための儀式なんだ。他にはないだろう」 聖杯。その言葉にみことは心の中で苦笑する。 これではまるでおとぎ話の世界ではないか。 聖杯を手に入れて、己の願いを叶えるだなんて―― 「……願い……」 「まあ、令呪を捨てマスター権を放棄すれば安全に離脱することは可能なはずだ。今回の聖杯戦争にいるかは分からないが監督役を探して……」 「ちょ、ちょっとお待ちください。今、“願いを叶える”とおっしゃいました?」 みことは鉄人に問いかける。 「ああ、他の参加者が脱落し最後の一組になれば聖杯が召喚される。それを使えばどんな願いでも叶えられるという話だ。だから……」 「なんですってぇッ!?」 古書店の店内に、にわかに絶叫がこだました。 鉄人と夏海が目を丸くする。 「そっ、それは例えば治る見込みのない怪我人を復活させるといったことでも可能ですの……!?」 「……え、あ、ああ……勿論出来るだろう。聖杯に不可能はないはずだ」 「――!」 鉄人の返答に、みことは総身が震えた。 “彼”を救い出す可能性。その希望が自分の前に現れたのだ。 救える――この戦いに勝ち抜けば“彼”を救えるのだ!! 「……ふ、ふふ……ふふふ……」 体が歓喜と共に武者震いをし、口からは期せずして笑いがこぼれ出る。 ああ、やはり神様はわたしを見捨ててはいなかった。 わたしの祈りを聞き届けて、チャンスを与えてくれたのだ。 この聖杯戦争という一世一大のチャンスを! 「――どうすればいいんですの?」 「……え?」 「この戦いに勝利するためにはどうすればいいのかと聞いているんですの!!」 叫びとともに、みことは掴みかからんばかりの剣幕で鉄人に詰め寄った。 「と、とりあえず君の場合、自分のサーヴァントと合流することが先決だろう。何とかして探し出して……」 「……左様ですか」 その時、鉄人と夏海は気づいた。 みことの左袖の下から、淡い燐光が放たれていることに。 「要するに――呼び寄せればいいのでしょう? わたくしの元に」 それは令呪から発せられた光だった。 みことの魔術回路が励起し、それに呼応して彼女に刻印された令呪は急速に輝きを増して行く。 「これを使えばあらゆる行動を律することが出来る……そうおっしゃいましたね、鉄人さん?」 「……! いや、確かにそうだが、それは――!」 鉄人が制止するより先に、みことの左腕の令呪はその法外な魔力を覚醒させて激しく光を迸らせる。 そして閃光と共に、みことは高らかに宣言した。 「さあ我がサーヴァントよ! 聖杯を手に入れ“彼”を救うため、今すぐここに飛んできなさい!!」 ――その瞬間、 轟音と共に一個の人型が三人の眼前に降り立った。 X X X X X 「我を呼び、我を求め、キャスターの座を依り代に召喚せしめた者……問おう、汝が私のマスターに相違ないのだな……?」 「左様! このわたくしがあなたを召喚したマスター、志那都みことに違いありませんことよ!!」 「……………………では、ここに契約は成立した。我らの手に聖杯の奇跡がもたらされんことを……」 みことの呼び声と共に現れた古めかしい外装の男性がそう宣言する。 こうして、水佐波市を舞台にした聖杯戦争の最後の一組――七番目のマスターとサーヴァントは契約を完了した。 「あなたがわたくしのサーヴァント……キャスターと言いましたわね」 みことは改めて自分の眼前に立つ男の姿を凝視した。 偉丈夫と言っていいだろう。みことより頭一つ分以上高い長身に、絵画のように均整のとれた肉体。 だがその身には剣も槍も、それどころか寸鉄の一つすら帯びていない。 身に纏っているのも具足の類ではなく、何の変哲もない布の服だ。 どこをどう見ても戦士とか騎士とかいった人種だとは思えない。 そして何より目を引くその相貌……そこに刻まれた表情はひたすらに陰鬱で、闘気や覇気といった気配はあまりに薄い。 (……こんな様子で満足に戦えるのかしら?) みことは怪訝な表情を浮かべる。だが望もうが望むまいがこれが自分に配られたカードなのだ。 自分はこの男を従えて勝負するしかない。みことは毅然とした態度をキャスターに向ける。 「良いことキャスター! このわたくしの配下になった以上、脆弱さは許しませんわ! 持てる力の全てを使って、何としても聖杯を手に入れるのよ!」 「……盛り上がっているところ悪いんだが」 そこに鉄人が天を仰ぎながら、口を挟んだ。 「何ですの? 今は下の者を叱咤するのに忙しいので後にしてもらえません?」 「悪いが緊急を要する。“アレ”は一体どうしてくれるんだ……?」 鉄人が仰ぎ見た視線の先、そこには文字通りの“天”が見えていた。 先ほどみことがこの場に呼び寄せたキャスター……彼は高速で空から落下してきて、まさしく自分たちの前に“降り立った”のだ。 恐らく「今すぐここに飛んできなさい」などという文言で命令したためであろう。あらゆる手段でサーヴァントを統べることを可能にする令呪は みことの言葉をまったくもって正確に実行してキャスターをこの場へ飛来させたのだ。 ……その結果が鉄人の視線の先の、天井に穿たれた大穴だった。 「あら、ちょうど篭った空気が換気されて良かったんじゃありません? それに心配しなくても今日は一日晴れですわよ」 「そういう問題じゃないだろ!? 屋根なしでまともに生活が出来るか!」 「しょうがないですわねぇ、では請求書をわたくしの実家宛に送ってくださいな。傘下の建築会社に無償で修理させますから」 「……そうしてくれると有難いが問題はそれだけじゃない。さっきの衝撃で結界が完全に破られた。もう一度張り直すのにどれだけ時間がかかるか……」 「結界? よく分かりませんが地鎮祭なら工事の前にちゃんとやって差し上げますわよ。叔父が神主をやっておりますので」 「だからそういう話ではなくてだな……!」 「ま、まぁまぁ落ち着いてよ二人とも」 噛み合わない口論を始めた二人の間に夏海が割って入った。 「あら、いたのね夏海。ずっと声が聞こえなかったから帰ったのかと思いましたわ」 「ずっといたよ! 何か話に入るタイミングが掴めなかったから黙ってただけだよ!」 鉄人に詰め寄られても、夏海に抗議されても、みことは飄々とした態度で受け流す。 「まったく、みことはこれだから……」 呆れたような態度で応じながら、夏海は心の中で安堵していた。 そうだ。この超然とした物腰こそがみことの本当の姿なのだ。 彼女の左腕に令呪を見つけたときはどうなることかと思ったが、聖杯戦争によって彼氏を救えるかもしれないという希望を持つことで みことは昔の、元気だった頃の彼女を幾らか取り戻せたようだった。 「……」 ふと、夏海はみことが呼び寄せたサーヴァント、キャスターに目を向けた。 英霊。その称号に恥じぬ、神々しさすら感じられる風采。だが表情も全身にまとった空気も華やかさとは縁遠く、ただただ痛ましい程に暗い。 頭は自然と俯くように下がり、彫りの深い眼窩は泣き付かれたかのように力なく窪んでいる。 その様子に夏海は既視感を覚えた。 (なんかこの人……昨日までのみことみたい……) キャスターは押し黙ったままただじっと、何かを観察するかのような目でみことを見ていた。 「……やれやれ、話が逸れてしましましたわね」 鉄人と話がついたのか、みことは踵を返しそのまま出入口の方へと向かっていく。 「こんな所でグズグズしてはいられませんわ。他の者たちに遅れをとるわけにはいきません。 さぁ行くわよキャスター! わたくしに付いて来なさい!」 「断る」 「まずは手始めに大橋を落としましょう! 都市間の経路を塞いで敵を追い詰め――」 言いかけて、みことは足を止め己のサーヴァントの方を振り返った。 「……今、何とおっしゃいました?」 「聞こえなかったのか……?」 自分のマスターに向けて、キャスターは眉一つ動かずにきっぱりと言い放った。 「断る、と言ったのだ。私は君に付いて行くつもりはない」 「な――」 みことは目を見開いて、噛み付かんばかりの勢いでキャスターに詰め寄った。 「どういうことです!? あなたはつい先程わたくしと主従の契約を結んだはずでしょう!!」 「……確かに契約はした。君は私のマスター、それは事実だ。だからといって君と行動を共にするつもりは一切ない」 声を荒げるみことに対し、キャスターは冷たく応えた。 「君は魔術師ではないな? 私を召喚し限界させている以上、魔術回路は持っているようだが魔術の素養も知識もまるでないと見える。 そんな君がのこのこ戦場に顔を出して一体何の役に立つというのだ? 敵マスターとの戦闘どころか私の援護も出来はしないだろう。 はっきり言って足手まとい以外の何物でもない」 眼前の小柄な少女を、文字通り見下しながらキャスターは告げた。 「この戦いに勝ちたいなら君はどこかにシェルターでも作って閉じ篭っていてくれ。君に出来るのはそれくらいだ」 「…………!」 あからさまな侮辱にみことは拳を震わせた。 ここまで言われて黙っている訳にはいかない……みことは左腕の文様に意識を集中させた。 「……ひょっとして令呪を使うつもりか?」 「ええ、そうです。これを使って命令すればあなたは逆らえないのでしょう……!」 左腕の令呪に力が満ち、淡く輝きだしていく。 「このわたくしを侮辱した罪、きっちり償わせてさしあげますわ! さぁ今すぐそこに跪いて――」 「一応訊くが、令呪が三回しか使えないことを承知でそうするというのだな?」 「――え?」 キャスターの発言にみことは虚を突かれ静止した。 きょとんとした表情で鉄人の方を振り返る。 「……そうなんですの?」 「ああ……令呪は一人三画しかない。君の場合既にキャスターを呼ぶのに一画使っているから残りは二回までだ」 「そ、そういうことは先に言ってくれませんこと!?」 狼狽するみことを、キャスターは一層冷たさを増した視線で見据える。 「やれやれ……まさか基礎的なルールすら把握してないとは。 これで分かっただろう。聖杯戦争の表舞台に君の出る幕などないということが」 「くッ……」 何も言い返せず、怒りに身を震わせながらみことはキャスターを睨み返す。 激情の込められたその視線を、何ら意に介さずに受け止めてキャスターはみことの傍らを横切った。 「……ついでに言っておくが」 出入口へと向かいながら、キャスターは振り返りもせずに言った。 「私は君のような感情的で騒々しい女が大嫌いでな、近くにいられるだけで虫酸が走る。 分かったら私には干渉しないでくれ。聖杯は私一人で手にいれてみせる。 心配しなくても君にもちゃんと“使わせてやる”から、大人しく待っていたまえ……」 そう言い残し、キャスターはみこと等の前から姿を消した。 X X X X X 「うああああああああああああああああああああああッ!!」 「み、みこと落ち着いて! みこと!!」 キャスターが去ってから後、怒声を上げながら暴れかけたみことを夏海は必死で抑えこんでいた。 「……はぁ……はぁ……! あの男よくもぬけぬけと言ってくれましたわね……!!」 息を切らしながら、それでもなお怒り収まらぬ様子でみことは言った。 「こうなったら何としてもヤツの鼻を明かしてやらなければ気が済みませんわ…… 待ってなさいキャスター! あなたより先に敵の一人や二人打ち倒して目の前に叩きつけてやりますから!!」 「おい、ちょっと待て!」 矢も盾もたまらずに駆け出そうとしたみことを鉄人が背後から制した。 「夏海の言うとおりだ、みこと君。もう少し落ち着きたまえ」 「ですが……!」 「苛立つのも無理はないが……あのサーヴァントの言うことも最もだ。 君は魔術師ではないし、聖杯戦争のこともよく分かっていない。 おまけにサーヴァントと離れた状態とあっては他の参加者からしたらいい鴨でしかない」 「……それは……」 「このまま闇雲に飛び出していっても犬死にするだけだぞ」 「……」 鉄人の言葉に気を削がれ、みことは黙って握り締めた拳を降ろした。 「いいか、聖杯戦争は言葉通り“戦争”、殺し合いだ。 しかも相手は真っ当な人間じゃない。魔術師や英霊といった超人が手段を選ばず君の命を狙ってくる。 そんな危険なことに君は参じようとしているんだぞ」 「……それは……わかっていますわ」 戦争。殺し合い。この戦いは間違いなく自分の死の危険と隣り合わせだろう。 だがそれでも――自分には戦わねばならない理由がある。 「ですがこの戦いに勝利すれば願いを一つ叶えられるのでしょう…… だったらわたくしはやらないわけにはいきません。それで“彼”が救えるなら……」 「さっき“治る見込みのない怪我人を復活させられるか”と聞いていたね。それが君の願いかい?」 鉄人の言葉にみことは頷いた。 「確かに君の気持ちは分かる。だがもう一度よく考えてみてほしい。 本当に自分がこの戦争に参加するべきなのかどうかを。……夏海」 鉄人は、心配そうな面持ちでみことの傍らに立っている夏海に声をかけた。 「とりあえず今日は帰りなさい。夏海、お前はみこと君を送っていってやれ。 あと人通りのない道は通らないよう注意するんだ」 「う、うん。分かった……行こう、みこと」 「……ええ……」 鉄一に促され、古書店を後にする夏海とみこと。 二人を送り出し、鉄人は大きく息をついた。 ――この時、彼は気づいていなかった。 天井に穿たれた穴から一匹の雀が、 ……正確には一匹の雀の“死体”が、店内の様子をずっと覗き込んでいたことに――。 X X X X X 水佐波海上都市。 その沿岸部はリゾート地として近年めざましい発展を遂げ、周辺には幾多のホテルが軒を連ねている。 その中でも特に富裕層向けに特化したラグジュアリーホテルのスイートルームの一室で、 ファーティマ・アブド・アル・ムイードはベッドに腰掛けていた。 「ふむ……」 褐色の肌に黒い髪。南欧の雰囲気を色濃く漂わせた美女である。 眼鏡の奥の瞳は理知的で、白衣のような純白の衣装と相まって科学者か数学者のような印象を与える。 その連想は当たらずとも遠からず。ファーティマは確かに研究者を生業としている。 ただしその研究対象は“魔術”という、科学とはかけ離れた分野であったが。 「まさかこんなに早く見つかるとは思わなかったわね」 水佐波市内に放っておいた使い魔の内の一匹、その視覚から送り込まれて来た映像を確認してファーティマは満足気に呟いた。 「素人同然のマスターに、それを構わず放置するサーヴァント。 これほど与し易い相手が現れるなんて。幸先がいいわね、ライダー」 ファーティマはそう、己のサーヴァントに声をかけた。 「ふふふ、しかしあんな相手では手応えがなさすぎて貴方のお気には召さないかもしれないわね」 ファーティマは呼びかけながら振り向いた。 ……が、そこに目当ての姿はない。 ファーティマはぐるりと室内を見渡す。 「…………ライダー?」 X X X X X 『さぁ逃げますのはブルートルネード そしてビッグゴールド それからトウカイトリック、トウカイトリック二番手 ブルートルネード先頭、トウカイトリック二番手 三番手に内へ入ってビッグゴールド 外へシルクフェイマスであります それからトウカイカムカムがいて、リンカーンは早めに行っている リンカーン早め五番手から六番手 ナリタセンチュリー、ローゼンクロイツ そして相変わらず、相変わらずディープインパクト、後ろから2頭目のポジションであります 悠然と後ろから2頭目で前の15頭を見ている さぁ1コーナーから2コーナーに ペースが落ち着く1コーナーから2コーナーへ ファストタテヤマの外へディープインパクト 現在後ろから2頭目であります さぁ逃げるのはブルートルネード その外の方へ、二番手にトウカイトリック シルクフェイマス三番手 内へビッグゴールド その後ろからリンカーン早々と五番手に入っている リンカーン早々と五番手であります 滴るばかりの緑の中を行く、17頭であります この位置11番リンカーン その後ろ6番のトウカイカムカム ナリタセンチュリー、ハイフレンドトライがいてアイポッパー マッキーマックスがいて、いた、いた! 7番! ディープインパクトは相変わらず後ろから3頭目ぐらいであります アスコットへ、ロンシャンへ、夢大いに膨らむディープインパクト 今3,4頭を交わして後ろから五番手ぐらいに上がってまいります 薫風に乗って第3コーナー、さぁ勝負所』 「…………何をしているの、ライダー」 先程ファーティマがいた部屋、その隣のリビングルームにかの人物はいた。 「あぁ? 見りゃ分かるだろ。テレビ見てんだよ。テレビ」 瀟洒に拵えられた長椅子に悠々とふんぞり返ったまま、その人物は愛想なく応じた。 金色の髪を短く刈り込んだ、精悍な顔立ちの男だ。 無駄なく引き締められた肉体を軽装の戦支度でピッタリと包み込んだその姿は、さながら一本の革鞭のようである。 野性的な光をたたえたその瞳は、呼びかけたファーティマに向けられることなく目の前のプラズマディスプレイに注がれていた。 『17頭がほとんどひと固まり ディープインパクト、ゆっくりと今、ゆっくりと今、先頭集団に上がってまいりました 先頭集団に上がって場内大歓声であります さぁ800の標識で早くもディープは四番手、四番手から三番手 ローゼンクロイツの外へ馬体を併せに行きました 早々とディープインパクトは先頭だ 早くもディープインパクト先頭で、あとゴールまで600mの標識を過ぎている さぁ第4コーナー、二番手はローゼンクロイツ シルクフェイマス 外から猛然とリンカーン、左ムチが飛んでいる 大外からマッキーマックスとストラタジェム マッキーマックスとストラタジェム リンカーン追い込んだ、リンカーン追い込んだ 逃げる! 逃げる! 逃げる! 逃げる! 懸命に逃げるディープインパクト あと200m、差は詰まらない! ディープインパクト、三馬身、四馬身のリードがある 二番手はリンカーン 三番手ストラタジェム 先頭は依然ディープインパクトです、ディープインパクト!』 「これは……競馬の中継?」 早口で捲し立てられた実況アナウンスの声がスピーカーから響き渡り、 画面の向こうでは何頭もの馬が抜きつ抜かれつ緑眩しい野芝の上を駆けている。 「姿が見えないと思ったらこんなものを見ていたの、ライダー」 テレビに釘付けになっている己のサーヴァントの姿にファーティマは呆れたように嘆息した。 ライダー。その呼称の通り、この男は『騎兵』のサーヴァントだ。 その中でも特に彼は馬と縁深い英霊である。トラックを走る騎手と競走馬の姿に何か感じ入るものがあったということか。 いや、それともあるいは…… 「ひょっとして貴方、自分が現世で乗るための馬の品定めでもしていたのかしら?」 「はぁ? まさか」 そこでようやく、ライダーはファーティマに顔を向けた。 「どの馬も毛並みは見事だが軟弱すぎてオレの好みじゃねえよ。 オレの家でも代々馬を飼育してたがアイツらは凄かったぜ。 気性が荒すぎて、気に入らない人間が背中に乗ると振り落としてそのまま食い殺しちまってたくらいだ。 ま、オレとしちゃそれくらいの暴れ馬でないと乗った気がしなかったがな」 そう言ってライダーは不敵な笑みを浮かべた。 「まぁでもあのタケって乗り手はなかなかの腕だな」 「それはそうと、ライダー」 ファーティマはようやく本題に入った。 「先ほど敵マスターの所在を捕捉することに成功したわ。直ちに奇襲を仕掛けます」 「……ようやく出撃か。だがそれには――」 「ええ、勿論用意は出来ている」 ファーティマはチラリとバスルームの方へ目を向けた。 その方向から微かにだが、地鳴りのような重い唸り声が聞こえてくるのをライダーは感じた。 「この現世の戦場を駆け抜けるための“騎馬”、こちらも調整が完了したわ。 きっとお気に召すはずよ。貴方が手綱を掛けるに相応しいよう、飛びっ切り凶暴に仕上げておいたから」 「ほぅ……そりゃあ楽しみだ」 ファーティマの言葉にライダーは口の端を吊り上げる。 それは獣が牙を剥くような、獰猛極まる笑みだった。 X X X X X 蔵馬鉄人の古書店を出た後、 高坂夏海と志那都みことの二人は水佐波自然公園に立ち寄り、 一角のベンチに並んで腰を降ろしていた。 「あーっ、それにしてもまだ腹のムカつきがおさまりませんわ!」 先ほどの古書店でのキャスターとのやり取り、それを思い出しただけでみことは苛立ちに歯噛みする。 「まったく何なんですの!? あの人を馬鹿にしきった態度は! 夏海もそう思うでしょう!?」 「……え? う、うん。まあ」 みことの迫力に隣りに座った夏海は若干たじろいだ。 「何とかして落とし前を付けさせてやらないと気が済みませんわ……。幸い令呪はまだ二画は使えるのですし どうにかしてあの男をギャフンと言わせるような命令を……」 「あー、それなんだけどさ」 ぶつぶつと恨み言を呟くみことに、夏海がおずおずと声を掛ける。 「やっぱりさー、みことはあのキャスターって人とちゃんと仲直りしたほうがいいと思うんだけど……」 「――何ですって?」 夏海の発言に、みことは露骨に嫌悪の表情を浮かべる。 「鉄にぃも言ってたけど、実際あたしたちってサーヴァントがいなかったら何も出来ないんだよ?」 「それは……わたくしだって分かってます」 確かにそれは事実だ。だからと言って自分をあれだけ侮辱した男にこちらから頭を下げて守ってくださいとお願いしろというのか? そんなことはこの志那都みことのプライドが許さない。 「だからさー、もうみことの方から謝って早く仲直りしちゃいなよ」 「なッ、何でわたくしの方が謝らないといけませんの!?」 「そうよね。こうしている間にも敵のサーヴァントに後ろから刺されないとも限らないし」 「冗談じゃありませんわ! 誰がそんなこと――」 そこでふと、みことは違和感を覚えた。 (……今、知らない人の声が聞こえたような……) その時、誰かがポンとみことの肩を叩いた。 振り向くと――いったいいつからいたのだろう。全身を黒い装束に包んだ女性がみことのすぐ後ろに立っていた。 「だ――」 「あ、アサシン!?」 誰、とみことが言うより先に夏海がその女性を呼んだ。 「しっ、あまり大きな声を出さないで……」 アサシン。そう呼ばれた女性は人さし指を口元に当てて夏海を制した。 「い、いつからいたの?」 「ナツミたちがあの古書店に入る前からずっと貴方たちの後ろにいたわよ。気づかなかった?」 唖然とする女子二人をよそに、アサシンはみことの方に顔を向け艶然と微笑みかけた。 「はじめまして、ミコト。妾身(わたし)はアサシン。ナツミと契約したサーヴァントよ」 それは考えてみれば当然の話である。マスターの証である令呪、みことがそれを夏海の左手の甲に発見したのが今回の事の始まりなのだ。 で、ある以上夏海もマスターの一人としてサーヴァントを従えているのは当然の成り行きだといえた。 「だから、貴方とは敵同士ということになるのかしらね?」 「なっ……」 「ちょ、ちょっとアサシン!?」 アサシンの不穏な発言に、夏海が語気を荒げる。 「変なコト言わないでよ! 確かにあたしは聖杯戦争に参加するって決めたけどみことと戦うつもりなんて……」 「はいはい、分かってるわよ勿論」 アサシンは夏海の口に手を当てて声を封じ、そのまま再度みことの方に顔を向けた。 「主の大事なお友だちである以上、妾身は貴方に手を出すつもりはないわ。 でも他のサーヴァントたちは違う。それは理解できるわよね?」 アサシンの言葉にみことは黙りこむ。 “こうしている間にも敵のサーヴァントに後ろから刺されないとも限らないし” 先の彼女の発言が脳裏をよぎる。もしこのサーヴァントに殺意があったなら、自分はとっくに殺されていたに違いない。 「貴方が聖杯に賭けてるのは分かるわ。妾身や他のサーヴァント、マスターだって同じだもの。 でも貴方の願いのために、本当に自分がするべきことが何なのかは、ちゃんと考えたほうがいいわ。 でないと取り返しの付かないことになるわよ」 「そう……ですわね……」 みことはすっかり怒気を削がれた様子でアサシンに応じた。 聖杯に望みを託しているのは自分だけではないのだ。 キャスター。あの男だって、何か切な望みがあって召喚に応じたのかもしれない。 「……そういえば、夏海はどうしてこの聖杯戦争に参加することにしたんですの?」 「え、あたし?」 不意のみことの問い掛けに、夏海は困ったような表情を浮かべた。 「あなたにも何か叶えたい願いがあったのですか?」 「そういうのとはちょっと違うんだけど……何て言ったらいいのかな。 みことにも話したことなかったけど、あたし……霊が視えるんだよね」 「……はい?」 唐突な夏海の発言にみことは唖然とする。 「いや、冗談とかじゃないんだよ! 霊感っていうの? そういうのが昔から強かったみたいでさー」 夏海の話によると、彼女は小さい頃から霊を見ることができたということだった。 だが霊というのは姿が見えるだけで意思の疎通は行えず、大半は死亡時そのままの苦痛にまみれた状態のままで現世に留まっていながら それを救う手立ては何もなく、そのせいで夏海は随分歯がゆい思いをしたらしい。 そんな折、今回の聖杯戦争のマスターに選ばれた彼女は、サーヴァントという“意思を持つ霊”と出会った。 「それで思ったんだ、今まで見てきた死んだ人の霊に何も出来なかった分、 この聖杯戦争で呼び出されたサーヴァント……英霊の願いはなるべく叶えてあげたいなって」 「そ……」 そんなことで? そう言いかけてみことは口を噤んだ。 死者の無念を救いたい……それは決して下らないことではない。むしろ貴いとさえ言える。 だがそのために自分の命を掛けて死地に赴くことができる人間がいるだろうか? 「じゃあ夏海は、自分のことはどうでもよくてただ他人のためだけにこの聖杯戦争に参加したというの?」 「んー、まぁそうなるのかな」 「そんなのって……」 「別にそんなにおかしなことじゃないと思うけど。それにみことだって赤城くんを助けたくて参加することにしたんでしょ? それだって“他人のため”に戦うってことじゃない?」 「それは……」 夏海のあっけらかんとした物言いにみことは言い淀む。 確かに自分は“彼”を救うために聖杯を勝ち取ろうと決めた。 だがそれは自分にとって“彼”が特別な存在であるが故である。 夏海はそれとは違い、自分とは殆ど無関係な見ず知らずの者のために戦おうと決めたのだ。 そんなのは……それこそ『英雄』のような行動ではないか。 「お話し中のところ悪いんだけれど」 不意に、背後からアサシンが言った。 「そろそろ日が暮れ始めるわ。これ以上、外をうろつくのは危険よ。 人の気配がなくならない内に帰った方がいいわ」 空を見ると、既に若干赤みがかかっていた。 周囲を見回すとまばらだかが人の姿は確認できる。 木に登って遊ぶ子ども、ジョギングをする老人、デート中らしきカップルの姿なども伺える。 この広い平原かつ衆人という環境ならば、無理に仕掛けてくる相手もいないだろう。 「そうだね、帰ろうか。みこと」 「そうですわね……」 そう言って二人はベンチから立ち上がった。 その時、みことは視線の端で捉えた。 木登りをしていた子ども、その一人が高枝から真っ逆さまに落下するのを。 「……えっ?」 数度瞬きしてもう一度そちらに目を向ける。 落下した子どもは地面に倒れ伏せたまま身動きひとつしない。 「大変……!」 「あ、ちょっと……みこと!?」 みことは即座に倒れた子どもの元へ駆け寄った。事態を察したのかすぐに夏海も後を追う。 そして横たわる子どもの体を抱き起こした瞬間、みことは息を飲んだ。 「冷たい……」 体温をまるで感じない体。手首に指を当てても案の定脈拍はない。 「みこと、その子……」 「と、とりあえず救急車を呼びましょう。ひょっとしたら助かるかも……」 「ちょっと待って」 狼狽する二人に向けて、夏海の背後に影のように寄り添っていたアサシンが言った。 「ミコト……今、貴方“冷たい”と言った?」 アサシンのその言葉にみことははたと気づいた。 もしこの子どもが先ほどの落下で命を落としていても、今この時点で体温が冷たいなどということは在り得ない。 これではまるで、とっくの昔に死んでいたみたいでは―― 「――その子から離れなさい! ミコト!」 叫びと共にアサシンがみことの元へと飛び出し、その腕から子どもを払い除ける。、 次の瞬間、子どもの上半身が爆音と共に破裂した。 夥しい量の肉片と骨片が血しぶきと共にみことへと浴びせかけられる。 炸裂弾のごとき勢いで飛来したそれらは、しかしアサシンの振るう拳足によって残らず叩き落とされ、みことは僅かに血で顔を汚す程度に留まった。 「ミコト、大丈夫!?」 「……あ、あ……」 怪我はない。だがすぐ目の前で巻き起こった血肉と臓腑が飛び散る悪夢の光景は脳裏を打撃し みことは顔面を蒼白にしてへなへなとその場に座り込んだ。 「アサシン、これって……!?」 「恐らくは敵マスターの仕掛けた罠ね。……迂闊だったわ、人目に付く場所なら安全と思っていたけど……」 夏海とみことはふと周囲の気配の異状に気づき、そこで更に背筋の凍るような光景を目にした。 公園内にいた老若男女さまざまな人々、それら全員がその場に立ち止まってじっとこちらを見ているのだ。 そして、それら人々の目は一つ残らず“瞳孔が開き切っていた”。 「――ここにいるのは最初から皆、生きてる人間じゃないわ……!」 アサシンが表情を引き締める。 そして次の瞬間、死者の群衆が夏海たち目掛けて殺到した。 X X X X X 小さな子どもの肉体が木っ端微塵に爆裂し、骨肉を四方八方へ飛び散らせる。 その醜怪な光景を離れた場所からライダーは憮然とした面持ちで眺めていた。 「アレがお前の仕掛けた魔術なのか? ファーティマ」 『ええ』 念話によって脳裏に直接返事が届く。 今、ライダーが見た光景は感覚共有の魔術によってマスターであるファーティマにも視認されていた。 『死体爆弾……オーソドックスな死体人形にスーサイドボムという攻撃手段を付加したものです。 自爆というのは奇襲性の高い有効な攻撃だけどどうしてもコストが掛かるもの。 でもこれは元が死体ですから実質的な損失はゼロ。よくできてるでしょう?』 そこはかとなく誇らしげな色合いを含んだ声がライダーの脳裏に響く。 高坂夏海と志那都みこと、二人のマスターを発見したファーティマは彼女たちが公園に入り込むと周囲に人払いの結界を張り、 一般市民を遠ざけると同時に近隣に配置されていた使い魔――『生ける屍』たちを集結させたのだ そして怪我した子どもを偽装しての自爆攻撃という悪辣極まりない一発を皮切りに、 周辺を包囲していた死体人形が一斉に群がり、夏海とみこと目掛けて一つまた一つとその肉体を四散させてゆく。 だがそれらは皆、一人の黒装束の女の手によって余さず薙ぎ払われ、標的である二人の少女には骨の一片すら突き刺さるには至らない。 『あのサーヴァント意外とやりますね』 「別に意外という程でもないがな」 アサシン。マスターの少女はあのサーヴァントをそう呼んでいた。 その風体からも鑑みて、黒装束の女は暗殺者の英霊と見て間違いないだろう。 直接的な戦闘能力は低いクラスだがそれでも英霊の端くれ、あの程度の攻撃を捌くことなど造作もあるまい。 『あの程度の相手なら使い魔で充分討てるかとも思ったけど、やはり貴方に出てもらう必要があるようね、ライダー』 「当たり前だろ。元よりこっちはそのつもりだ」 体内に沸々と滾る闘気を剥き出しにしてライダーは応える。 幾百幾千という年月を隔て、久方ぶりに感じる戦場の空気に体が自然と武者震いする。 『ところで、“馬”の調子はどう?』 「あ?」 ライダーはちらりと自分の傍らに目を向ける。 そこには一頭の獣が侍っていた。 轡を噛ませられ手綱を締められ、それでもなお内に秘めた凶暴さが噛み締めた牙の隙間から漏れでてくるような生粋の猛獣。 これこそが、ライダーのためにファーティマが用意した乗機たる“騎馬”である。 『あれね、少しばかり急拵えなんで不備がないか心配なのだけど』 「……特に問題はなさそうが」 『そう、なら遠慮はいらないわ。存分に蹴散らして差し上げなさい、ライダー』 たった一つの明瞭な指示を残し、ライダーの頭の中の声は途絶えた。 「“馬”ねぇ……」 ライダーは一人そっと呟く。 「……コイツのどこに馬の要素があるんだよ」 X X X X X 肉が爆ぜ、臓物が飛び散り、血と脳漿が宙を染める。 群がり爆発するヒトのカラダ。もういったい幾人目なのか、みことはとっくに数えてなどいられなくなっていた。 人肉の焼け焦げた匂いと血臭が渾然となった悪臭に、思わず口内に酸っぱい物がこみ上げてくる。 「……みこと、大丈夫?」 「夏海……」 蒼白の顔色で俯くみことの背中に、夏海がそっと手を置く。 「な、夏海は平気なんですの? こんな、酷い有様を見て……」 「あー、……あたしは何ていうかその……見慣れてるから」 「……見慣れてる?」 「ほら、さっきも言ったけどあたし霊感が強くて……で、霊って死んだ時の姿のまま彷徨ってるのが多いから……」 ぎこちなく苦笑いを浮かべながら話す夏海。 その内容に、みことは戦慄を禁じ得なかった。 あのような無残に破損した人体の成れの果てを、思い出すだけで頭が痛くなるグロテスクな代物を 彼女はずっと見つめながら生きてきたというのか……。 「……終わったの? アサシン」 「ええ、一応」 気がつくと、周辺を包囲していた死体の群れは、残らず爆破されてのか動いているものはもう一つもなくなっていた。 辺りには自爆の後に残った腕や下半身が散らばり、自然公園の一角はさながら地獄の如き有様である。 「死体人形の方は片付いたわ。でも――」 立ち上がり、前に出ようとする夏海を手で制し、アサシンは一層表情を険しくする。 「――どうやら本命のご登場みたいよ」 そのとき突如として、先程までの死者たちが巻き起こしていた爆発など問題にならぬ衝撃と風圧が三人を襲った。 迸る一陣の颶風、それに付随して巻き上がった土煙にみことは身を強ばらせる。 何かが、隕石もかくやという勢いで目の前に降り立ったのだ。 いったい、何が……。 「……!?」 「な、何アレ……!」 はたして、濛々と立ち込める土煙の中から現れたのは…… ――男だ。癖のある金髪を短く刈り込んだ、野性的な雰囲気漂う一人の男。 神秘的なまでに整った端正な容貌に、不釣合なほど獰猛な闘志を滾らせたその居住まいは、誰であれ瞠目せざるを得ないだろう。 サーヴァント……アサシンはもとより、背後の夏海、みことにも目の前の男がそれであることは一目のうちに察せられた。 だが、このとき三人が真っ先に目を奪われたのは男自身ではなく、男を背に乗せた一匹の“騎獣”の姿だった。 頭部と前肢はライオン。だがその後ろに付随した胴体と後肢は山羊のそれだ。 獅子の頭の後ろからはその山羊の首が生え、尻から尾のように伸びているのは鎌首をもたげた一匹の大蛇。 黄金色に輝く手綱で括られたその獣は紛れもなく、ギリシャ神話に登場する異形の怪物“キマイラ”の様相そのものであった。 「ふん」 呆気に取られた様子の夏海とみことを一瞥して鼻を鳴らし、 「女の分際でのこのこ戦場に出てきた挙句、腰を抜かして震え上がるだけとは笑う気にもならん無様さだな」 そう言うと、男は背中から長柄の得物を抜き放った。 先端に取り付けられた槍の穂先、その根元には人間の頭程の大きさの金属球がくくりつけられている。 スピアとメイスを無理やり一纏めにしたような竿状武器。それを男は腕一本で軽々と振りかざす。 「マスターの方はどうにもならん有様だが、貴様はもう少し骨のある所を見せてくれるだろうな」 「あら、殿方たるもの女性は怖がらせるのではなく守ってあげるのが務めというものではない?」 放たれる闘気を平然と受け止めながらアサシンは眼前の敵を観察する。 獣の背にまたがって、左手で手綱を握り、右手には騎乗槍。 このようなスタイルで戦場に赴いたとなれば、該当するクラスは一つしかない。 「ライダー……と呼べばいいのかしら」 「いかにも。尋常に名乗りを交わすことも出来んとは下らん戦もあったものだ。 最も……貴様に戦場で名乗りを上げる程の名があるとは思えんがな、アサシン」 さも不愉快げに口元を歪めて、ライダーは獣の上からアサシンを睥睨する。 「一騎打ちに駆り出され、その相手がこともあろうに暗殺者風情とは。全く誉れのない戦もあったものだ」 「あらあら、そちらから仕掛けておいて随分な言い草ね」 ライダーの傲岸すぎる言い分にアサシンは呆れたように苦笑する。 その尊大な態度と口調から鑑みるにこのサーヴァント、恐らくは高名な英霊なのだろう。 他者を見下すことを当然とするその様子からは、生前の位の高さも伺える。 「でも、そういう貴方こそ一体どこの英霊なのかしら? そんな得体のしれない怪物に乗った騎兵の話なんて聞いたことがないけれど」 そう口にした瞬間、黙れと言わんばかりにライダーの携えた槍の鋒がアサシンへと突き付けられた。 「……あまり余計な口を叩くなよ暗殺者。何が貴様の最後の言葉になるか分からんぞ」 「あ、アサシンっ!」 何か逆鱗に触れるものがあったのか、アサシンの一言を皮切りに男は更なる強さで剥き出しに殺意を放射し始めた。 そのあまりの迫力に、思わず夏海が後ろから声を出す。 「心配いらないわ。でも危ないからもうちょっと離れてて」 背後の少女二人に退避を促すと、アサシンはそっと自らの後頭部に手を触れる。 すると、一体どこに仕舞われていたのか――アサシンの手には一本の匕首が握られていた。 鍔のない、刃そのもののような凶器。それを胸前に構えてアサシンはライダーと対峙する。 「大丈夫、早く帰れるよう速攻で片付けてあげるから」 「はッ、言ってくれるな――!!」 ライダーの怒声と共にキマイラの後肢が地を蹴り、その巨体が弾丸のごとく放たれる。 かくして此度の聖杯戦争、現世に蘇った英霊達の激突は幕を開けた。 X X X X X 志那都みことは、ただ驚愕に息を呑んでいた。 いま眼の前で繰り広げられる光景の度外れた凄まじさ。 ライダー、敵のサーヴァントが従えているキマイラはまさしく怪物であった。 踏み締める足は地面を穿ち、爪を振るえば風圧だけで近くの街灯が割れ、樹木が砕ける。 映画の中でしか見られないような非現実的なモンスター。それが今、現実のものとして自分の目の前で猛然と暴れているのだ。 ライダーを乗せたキマイラは大型獣とはとても思えない身軽な動きで縦横無尽に跳び回り、 ハリケーンの如き颶風を迸らせながらアサシンへと襲いかかる。 二本の前肢が振るう爪撃は音速に達し、更に獅子の頭が隙あらばその肌に牙を立てんと喰らいつく。 それだけでも充分に驚異的だが、この怪物はそれに加えて双角を携えた山羊の首が猛然と頭突きを繰り出し、 おまけに尾のごとく生えた蛇はその身を正面まで長々と伸ばして、鞭のような挙動で獅子頭と山羊頭の間を縫ってアサシンへと噛み付きを仕掛けてくる。 キマイラ。複数の生物を合成した異形の体が生み出す連撃は、尋常の獣には到底不可能であろう。 だが―― 「くッ……コイツちょこまかと……!!」 キマイラの全身を使った猛攻に、更に鞍上のライダーが繰り出す槍撃を加えた圧倒的手数の連撃連打。 その全ての攻撃が一つ余さず、標的のアサシンに掠りもしないのだ。 「あらあら、段々速度が落ちてきているけど大丈夫? 疲れてるんじゃない?」 まるで風に舞う木の葉のようにひらひらと、爪を、牙を、槍を紙一重で躱し続けるアサシン。 一発でも食らえば致命傷になりかねない鏖殺の嵐の真っ只中にいながら、まるで焦る様子もなくアサシンは軽口を叩く余裕すら見せる。 「ほざくなよ兇手ごときが……!!」 平然としたアサシンとは対照的に、一方的に責め立てているライダーの方が焦燥の表情を浮かべる。 これだけの猛攻を回避し尽くし、そればかりかこのアサシンは騎乗槍と短刀という絶望的リーチ差を軽々と飛び越えて 鞍上のライダー目掛けて幾度も刺突を繰り出してきているのだ。 今のところはライダーも傷は負わされていないが、あと一歩で首が落とされかけたという窮地は一度や二度ではない。 アサシンなど所詮、闇に紛れて背後から刺すだけが能。正面から対峙して真っ向勝負に持ち込めば容易く破れる…… そのように考えていた自分の甘さを省みて歯噛みする。 (この女、尋常の暗殺者ではない……!) そのとき、にわかにキマイラが躓くように膝を折り動きを止めた。 ライダーが背上から仰ぎ見ると――いかなる事か、キマイラの右前肢の脛の肉が抉れ、罅割れた骨がその隙間から覗いていた。 「ふぅ」 倒れ伏せたキマイラから間合いを取り、アサシンが息をつく。 「ようやくダメージが出てきたようね。まったく何て頑丈なの……もう五十回は蹴ったかしら」 「なっ……」 アサシンの発言にライダーは驚愕する。 この女、あれだけの攻撃を躱しながら、その間隙にキマイラに攻撃を加えていたというのか? しかも上に乗った自分にまったく気づかれずに…… 「さぁ、どうするライダー? “脚”が使い物にならなくなった以上、騎兵の貴方はもう戦えないのではない?」 ふふん、と微笑みながらアサシンが告げる。 万全の状態ですら攻め切れなかった以上、それが手負いではもう有効打を放つことは望めまい。 「…………フ、フフフ……」 だが、ここにきてライダーにはまるで戦意が失した様子はない。 それどころか放たれる闘気は一層鋭さを増していく。 「この程度でオレを御したつもりでいるのか? 笑わせるなよ暗殺者風情が!!」 『GUUUUUURUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!』 ライダーの怒声。それに応じるかのように跨下のキマイラが咆哮を上げる。 そしてその異形の肉体がここにきて更なる変成を見せた。 『翼』。キマイラの背部から皮膚を突き破って一対の羽翼が広がったのだ。 蝙蝠か、あるいは中生代の翼竜を思わせる膜構造の翼。それを猛然とはためかせ、キマイラはライダーと共に宙へと飛び上がった。 「きゃっ…!」 その巨大な翼が巻き起こした羽ばたきは、軍用ヘリの離陸に匹敵する風圧を地面に叩きつける。 吹き荒れる乱流。それによって撒き散らされた粉塵は離れて様子を伺っていた夏海とみことの元にまで達し、彼女らにか細い悲鳴を上げさせる。 「生憎だがアサシン、オレの“脚”たる獣は見ての通り有翼だ。足部を砕いたところで止められはしないぞ!」 土煙の立ち込める地上を悠然と見降ろしながら、ライダーは宙空より言い放つ。 これで形勢は逆転した。空中を飛行し頭上から攻め立てれば地を這うしかない人間には為す術がない。 猊下を注視しながら更にキマイラを上昇させる。あとは噴煙が晴れると同時に降下して―― 「――?」 だが、ライダーの意に反して、濛々と煙る粉塵が去ったあと、アサシンの姿は忽然と消えていた。 ライダーは空から地上を一望するもどこにもその姿は見えない。 ……敵のクラスはアサシン。その気配遮断能力を持ってすればいかなる場所であろうと身を隠すことは容易いだろう。 だが身を隠したままでは戦闘には及べないはず。ならば撤退か? ……マスターを置いて? まさか―― 疑問と思考を巡らせる最中、予想だにしない方向から声が投げかけられた。 「――――さっきからどこを見てるのかしら? ライダー」 ライダーは反射的に声が聞こえた方を向き、そこで信じがたいものを目にした。 声が発せられたのはライダーの“真横”から。 なんとアサシンは羽ばたくキマイラと同じ高さで宙を舞っていたのだ。 それは“跳躍”などでは断じてない。 この女、完全に空を“飛行”している――!? 「馬鹿な、人の身が単独で空を飛んでいるだと……有り得ん!」 「あら、知らないの? 人間鍛えれば誰だって空くらい飛べるようになれるものよ」 「そんなわけあるかッ!」 ライダーは一喝するも、眼の前の光景は疑いようがない。 翼も何も無しで、この女は自在に宙を駆けることが出来るのだ。 空を飛ぶアサシン。その不可解な存在を前にして、ライダーの心中には疑問よりも先に怒りの念が湧き上がった。 神聖なる天空を、卑賤のものが我が物顔で飛び駆ける。それはこの英霊にとって何物より許しがたい咎であった。 「……外道働きが相応の分際が、悪ふざけも大概にしろよアサシンッ!!」 怒号と共にキマイラの双翼が空を叩き、怪物と騎兵はアサシン目掛けて流星のごとく飛翔する。 アサシンとライダー。二体のサーヴァントの死闘は舞台を空へと移し、今またその火蓋が切って落とされた。 X X X X X 古書店を去ってから後、 サーヴァント、キャスターは一人街を歩いていた。 「“Ο γιος μου, τι θα φέρει το πρόσωπό σας έτσι φοβισμένα;(我が子よ、何をそんなに怖がっているのだ) Ο γιος μου, είναι κομματάκι ομίχλης(我が子よ、それが霧がたなびいているだけにすぎない)……”」 2メートル近い長身を、蒼古とした衣装に身を包んだその姿、往来を歩けば人目をひくこと憚らないだろう。 だが、キャスターの周囲の人々は彼の姿などまるで気に留める様子もなく淡々と歩み去っていく。 「“Να είστε ήρεμοι, μείνετε ήρεμοι, το παιδί μου?(我が子よ、落ち着きたまえ) Ψίθυροι του ανέμου σε ξερά φύλλα.(その音は枯葉のざわめき) Το παλιό ιτιές Εκεί φαίνονται τόσο γκρίζα.(その姿は古い柳を見間違えただけ)……”」 キャスターの口から淡々と紡ぎだされる詩のような文言。 それを耳にした人々は知らず知らず意識を逸らされ、キャスターの姿を確りと見定めることができず、 あるいは目撃したとしてもその記憶をすぐに薄れさせていった。 (全く、何ということだ……) 呟くように呪文を詠唱しながら、キャスターは心中で落胆を露にした。 聖杯戦争。生前果たされなかった望みを叶えることができるという千載一遇のチャンス。 その好機をついに掴んだというのに、よりにもよってあのような娘に召喚されることになろうとは…… 聖杯戦争とはマスターとサーヴァントという二人一組の単位で行うもの。 ゆえに、他の参加者と戦う際は必然的に二対ニの様相を帯びることになる。 そこでマスターの側がまるで魔術を扱えぬとなれば、その時点でもう半分負けているも同然だ。 何故、あのような人間に呼び出される羽目になったのか…… キャスターは落胆を通り越して疑問すら感じていた。 魔術的知識を持たない以上、触媒を用いて指定召喚したわけではあるまい。 そういう場合、召喚に応じる英霊はマスターと精神性が似通ったものになるというが、とてもそうは思えない。 それどころか、あのような気性荒く言動の喧しい女は彼にとっては嫌悪の対象でしかなかった。 何せこの英霊は“そういう女たち”の手にかかってその命を落とすことになったのだから。 (状況はとても良いとはいえない……) 自分も英霊の座に祀られる身である以上、幾らかの武勲なり功業なりを成してはいるが、 それでも、生涯を通じて戦場を駆け続けたような生粋の勇士かといえば決してそうではない。 山野の中で出会ったセイバー、あれはまさしくそういった戦場の華たる英霊だろう。 ランサーやアーチャーといった他のクラスにもそのような豪傑が招かれている可能性は高い。 そういった面々を相手に、素人同然のマスターを抱えて勝ち抜こうとなれば、よほど周到に立ち回らなければ叶わないだろう。 ますはこの街の地理と霊脈の流れを把握。なるべく格の高い霊地に拠点を構え、そして―― 「……ん?」 そこでキャスターはふと気がついた。 考え事をしながら歩みを進めている内に、妙な場所に迷い込んでいたことに。 屋外ではない、建物の中だ。清潔な白い壁に、微かに空気に篭る薬品の匂い。 リノリウムが冷たく光る廊下を、白衣を来た男女が忙しなく歩き回っている。 ここは病院だ。聖杯から与えられた知識によってキャスターは理解する。 しかもかなり奥の方まで入り込んでしまっている。そんなにも長い間自分は漫然と歩いていたのだろうか? ……いや、 最初から自分はここに来なければならなかったような…… ここに来て、“誰かを救わなければ”ならなかったような……… (いかんな、まだ記憶の混濁が残っているのかもしれない……) 不鮮明な意識を振り払い、キャスターは踵を返す。 このような場所に用はない。立ち去ろうした、その時だった。 「――――志那都さん、今日はまだお見えにならないのかしら」 その名前に反応して、キャスターは咄嗟に立ち止まる。 「あの子も偉いわよね、毎日ちゃんとお見舞いに来てくれて」 話しながらやってきた二人の看護師は、キャスターの正面の病室の扉を開ける。 呪文による意識操作によって傍らのキャスターの存在を気取るもことなく、看護師はベッドに横たわった患者に声を掛ける。 「具合はいかがですか? 赤城さん」 その患者は、まさしく見るも無残な有様だった。 両足は膝から下で切断され、左腕は肩口から全て失われて最早その痕跡すら見えない。 頭部は首までびっしりと包帯が巻かれ、胴体からは何本も管が生えベッドの周りを取り囲む機械類に接続されている。 「待っててください、今包帯を取り替えてあげますからね」 反応のない患者に話しかけながら、看護師は頭部の包帯を解く。 元はどのような面貌だったのか想像も出来ぬほど大きく崩れた顔面が顕になり、キャスターは思わず眉を潜めた。 「……それにしても志那都さんも気の毒にねぇ」 「本当。彼氏がこんなことになるなんて、私だったら耐えられないわ」 二人の看護師は痛ましい表情でため息をつく。 「まだ付き合ったばかりだったんでしょう? 可哀想に……」 「凄い大恋愛だったって、ちょっとした噂になるくらい睦まじいカップルだったのに、まさかこんなことになるなんてねぇ」 「何とか意識だけでも取り戻してくれたらと思うけど、難しいわよね今の医学じゃ」 死体も同然の傷だらけの身体で伏している患者。 その姿に、看護師たちの語る内容を重ねれば、その背後に起こった出来事の察しはある程度つく。 「……………………………」 ――この時、気を取られていたキャスターは気づいていなかった。 窓の向こうから一匹の雀が、 ……正確には一匹の雀の“死体”が、病室内の様子をずっと覗き込んでいたことに――。 X X X X X 地上戦から空中戦へと様式を変え、現世に蘇った英霊の闘いはますます非現実的に苛烈さを増していった。 ライダーが駆るキマイラはロケット噴射もかくやという急加速をもって御敵たるアサシンへと突進する。 それを迎撃せんとアサシンの手から鏢(びょう)が放たれる。風を切り裂きながら投擲された四本の寸鉄は一つ余さずライダーの急所へ狙いを定めて飛来する。 圧倒的な相対速度を持って襲いかかる刃に、しかしライダーは臆することなく手綱を繰る。 即座にキマイラの巨体がバレルロールを描き、投剣を躱す。急激な旋転によって周囲の空気を竜巻のように荒立たせながらライダーはアサシンへと肉薄する。 進行方向へ真っ直ぐ槍を構えての騎馬突撃(ランスチャージ)。弾丸のごとき飛行速度に怪物の重量を掛け合わせた膨大な運動量を穂先に乗せて放たれたその必殺の刺突を アサシンは急降下によってキマイラの腹下をくぐるような軌道で辛くも回避する。 突撃が回避されたと察するやいなや、ライダーはキマイラの機首を強引に引き上げ、殆ど直角に近い角度で急激に進行方向をねじ曲げて、 すぐさま宙空で反転(インメルマンターン)し、すれちがったアサシンへと追撃を掛ける――。 「……あれが……サーヴァントの同士の戦い……」 遥か上空で繰り広げられる飛行格闘戦を目の当たりにして、みことは唖然とした面持ちで呟いた。 彼女の視力では両者の動きを捉えきることは叶わず、空に描かれる残像の線をもって辛うじて戦況を認識するに留まるが、 それでもその闘いの度外れた凄まじさは理解できた。 キマイラ。あのような大型の四足獣が背中に生えた翼で空を飛ぶというだけでも信じがたい現象だが、 真に驚嘆すべきなのはそんな不自然な乗機で、まるで航空戦闘機のような曲芸飛行をおこなうライダーの操舵術であろう。 コンピュータ制御によるマニューバ演算などとは程遠い、ただ一本の手綱を繰るという極めて原始的な手段で跨下の獣をあそこまで自在に操ることができるなんて……。 ……だがそんな騎兵の神業めいた空中機動をもってしても、相対する黒衣の暗殺者には届かない。 先ほど地上で行われた白兵戦、ライダーの繰り出す猛攻連撃をことごとく回避し尽くしたアサシン。 その構図は舞台を空中へと移しても全く変わることなく再現されることとなった。 ライダーの槍を、キマイラの爪を、アサシンは上へ下へと自在に抜き躱し、すれ違い素早く匕首で反撃を放ちつつ離脱する。 「こいつ……卦体な術を使いやがって……!!」 ライダーの騎乗技術がいかに優れてるといえども、キマイラによる飛行はあくまでも条理に則ったものだ。 推進力を得るためには羽ばたくという動作が不可欠になるし、旋回するためには翼を広げて空気抵抗を制御しなければならない。 だが、敵手たるアサシンはそのような航空力学をまるで無視したありえない挙動でライダーとキマイラを翻弄していた。 風を起こしているわけでもない、魔力を放出しているわけでもない。推進手段も姿勢制御手段もまるで見当が掴めないが 上昇性能、加速性能、旋回性能、そのどれをとっても、アサシンの飛行能力はキマイラのそれを上回っていた。 「ほらほらどうしたのライダー。攻めが緩んできたわよ?」 「……貴様ッ!」 アサシンの揶揄にムキになって槍を振り回すも、難無く回避され、黒衣の影が背後に抜けると同時にキマイラの脇腹に匕首が突き立てられる。 もう何十合打ち合ったことだろう。残像が虚空に∞の字を描き、両者が宙空でランデブーする度に、ただただキマイラの身体にばかりいたずらに傷が増えていく。 アサシンの攻撃力は決して高くはないが、こうも連続して打ち込まれれば蓄積したダメージは無視できない大きさになる。 現にその翼のはためきも、爪を振るう腕も、その勢いを目に見えて落とし始めていた。 (この女……!) ライダーは屈辱に相貌を歪ませる。有翼の獣に跨り空を駆ける――それは彼が最も得意としていたスタイルであった。 そしてそれは一度とて破られたことはない。ひとたび天に舞い上がれば、地上の雑兵どもは為す術もなくただ己の勇姿を呆然と仰ぎ見ながら討たれていくだけだった。 いつだってそうだ。自分は見上げられる側の人間だった。戦場では常に、敵を見下ろしながら一方的に勝利を手にしてきたのだ。 それをこの女は、天に立つ自分と『同じ高さ』からこちらを攻め立ててきている……! 追加の一撃が右翼に打ち込まれ、キマイラの巨体が大きく揺れた。 幾度と無く斬りつけられたダメージがついに限界に達したのだろう。右の翼には大きく亀裂が走っていた。 ライダーは強引に両翼の動きを制御して姿勢を立て直すも、もはやこの状態では空中戦の続行が不可能なのは明らかだった。 「どうやらここまでのようね、ライダー」 背後からアサシンの言葉が投げかけられる。 「そんな怪物をこうも自在に乗りこなすなんて大したものだけど、三次元的な空間認識が甘いわね。 貴方、ひょっとして『空対空』戦の経験はないんじゃない?」 「……ッ」 アサシンの指摘に、ライダーは返す言葉もなく歯噛みする。 そしてアサシンは進行方向を直角にねじ曲げ垂直上昇。数十メートルの距離を一気に駆け上がると頂点で反転し、ライダー目掛けて急降下した。 自身の推進力に落下速度を動員した突撃はこれまでのドッグファイトを遥かに凌駕する鋭さで繰り出される。 その攻撃に、ライダーは一瞬反応を迷った。 無理もない。何せこの騎兵にとって『真上から攻撃される』などという事態はついぞ経験したことがなかったのだから。 上から攻撃を仕掛けるのは常に自分、それを為す術もなく受けるのが敵。 その構図が今、完全に覆されたのだ。 敵が真上から猛然と襲いかかり、真下の自分は為す術もなくそれを見上げている。 ……この自分が? 敵を? 見上げて? 「――こ、」 上空、己より高い位置から向かってくるアサシン。 その面貌を仰ぎみた瞬間、ライダーの双眸が憤怒の炎に燃え上がった。 「このオレを――見下してんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」 直後に生じた爆発音。何であろう、それはキマイラの大翼が音速を突破する速度で空気を叩いた破裂音だった。 傷ついた翼で強引に大気を掻き、キマイラにまたがったライダーはまさしく爆発的な速度で急上昇、降下するアサシンに真っ向から突進し、 そのまま手にした槍を投げ放った。 「落ちろアサシンッ!!」 雄叫びと共に槍が翔ぶ。アサシンが認識するライダーの間合いよりも遠方より先んじて放たれたそれは通常ならば避けようのない奇襲だっただろう。 両者の相対速度と相まって刹那の内に迫る槍。だがそこで予想だにしない事が起こった。 今まさに槍で貫かれんとしたアサシンの姿が忽然と消え失せたのだ。 ライダーは思わず目を見開く。だが見間違いなどではなく、アサシンは影も形もなく、 そこには代わりに一匹の羽虫が―― 「……ッ!?」 だが、次の瞬間に羽虫の姿は消え、アサシンの黒影がその姿を現した。 そこでライダーははたと気づいた。両者は出たり消えたりしているわけではない。 アサシンと羽虫、この二つは最初から同一の存在。 コイツ、虫に身体を“変化”させて投槍を回避したのか――! 「獲ったり、ライダー!」 槍を投げ、丸腰となったライダー。 その隙目掛けてアサシンの刃が迫る。 「やった……!」 「行けー! アサシンッ!!」 この瞬間、アサシンも、地上で見守る夏海とみことも、皆がその勝利を確信していた。 ただ一人、 「 屠 獣 (カ ウ ン タ ー)―――――」 このライダーを除いては。 「――――― 熔 鉛 (キ マ イ ラ)!!」 ――その言葉を皮切りに発生した現象は、アサシンにとって全く慮外のものだった。 ライダーの投げ放った槍、その穂先の根元に括りつけられていた金属球がにわかに膜状に広がり、 食虫植物のような動きで背後からアサシンへと襲いかかり瞬く間にその身を包み込んだのだ。 「――なっ」 「え……?」 呆然とした夏海とみことの前に、ドスンと重たい音を立てて落下する鉛球。 「あ――アサシン!?」 夏海は己のサーヴァントの名を叫ぶも、それに応じて姿を表す影はない。 直径2メートル近い大きさにまで膨らんだその中に、彼女らの頼みの綱であったサーヴァントが封じ込められたのはもはや動かしようのない事実だった。 槍の柄に括りつけられていた金属球、それは単なる球型柄頭などではない。 自在に展開し標的を包み込む流体金属。これこそが、ライダーの切り札たる宝具『屠獣熔鉛(カウンター・キマイラ)』の真の姿であった。 「……まさか、こんなに早い段階でこいつを使う羽目になるとはな」 一拍遅れてキマイラに乗ったライダーが地面に降り立つ。 向こうに鎮座する自身の宝具を見て、彼は苦々しげに口元を歪めた。 「たかが暗殺者と侮って掛かったツケが高くついたな……おい」 舌打ちすると、ライダーは視線を二人の少女へと向けた。 「あの鉛球に閉じ込められた以上、もはや奴が自力で脱出することは不可能だ。 勝負は決した。お前らもこの聖杯戦争に挑んだ以上、負けた時の覚悟くらいは出来てるよな……?」 一歩ずつゆっくりと、騎兵を乗せた怪物がこちらに迫ってくる。 全身に傷を追いながらも、その獰猛な闘気は損なわれることなく全身から放たれている。 キマイラに携えられた獅子の面。その双眸と視線が交錯した瞬間、みことは本能で察した。 「あ、あ……」 自分は――まもなく目の前の獣に“喰われる”のだと。 「……ま、待って!」 まさしく蛇に睨まれた蛙のように身じろぎできなくなったみことの前に、夏海が身を乗り出した。 「アサシンのマスターはあたしなの。だから殺すのはあたしだけで……!」 「駄目だ」 夏海の訴えを、ライダーはにべもなく封殺する。 「そっちの女もマスターの一人なんだろ? だったら生かしておいてやる道理はない」 ライダーの言葉と共に、キマイラの獅子頭が牙を剥く。 その白く冷たい輝きを、みことは呆然と眺めていた。 ……自分は一体何をしているのだろう。 “彼”を救うと息巻いておきながら、肝心要とサーヴァントとは喧嘩別れし、 今こうして為す術もなく犬死に同然に殺されようとしている。 おまけに自分だけではない、たった一人の、掛け替えのない親友の命すら危険に晒して……。 「二人仲良く――あの世へ行きな!」 大きく口を開いたキマイラが猛然と突進する。 剥き出しの牙を、今まさにその身に突き立てんと―― “――――Σταματήστε(止まれ)” ……反射的に目を閉じたみことの傍らを、そのとき澄んだ一声が通り抜けていくのが聞こえた。 「――なっ!?」 直後、ライダーが驚愕に声を荒げる。 おずおずと目を開くと、いかなる事か―――みことの眼前で、キマイラは今にも噛みつかんとした姿勢のまま、 まるでその場に縫いつけられたかのように動きを静止していたのだ。 「どういうことだ……キマイラ、動け! 何故動かない!?」 「……あ、あれ?」 夏海も目をぱちくりさせて驚きを顕にしている。 三者揃ってこの状況は慮外の出来事であったらしい。 ならばこの現象は―― 「……!? 誰だ貴様っ!」 ライダーがみことらの背後に怒声を放つ。 それに反応して自分も後ろを向く。そこには一人の男が立っていた。 古めかしい衣装、月桂樹の葉の髪飾り、そしてその陰鬱な面貌。 「……キャスター!?」 見間違うはずもない、それはみことが呼び出したサーヴァントに他ならなかった。 「ど、どうしてここに……」 「……マスターが甚大な危機に陥ればサーヴァントにはそれが分かる。知らなかったのか?」 素っ気無く答えると、キャスターは身を寄せ合っているみことと夏海の眼前に割り込み、 目の前の怪物、そしてその手綱を取る騎兵の姿を見据えた。 「何があったのかと思って来てみたら、まさか敵のサーヴァントに襲われているとはな…… だから安全な場所に閉じこもっていろと忠告したのだがな。案の定これだ」 「……う」 キャスターの言葉に、みことは顔を赤くして項垂れる。 ことここに至ってはもう言い返す言葉もない。 「……貴様、もう片方の女のサーヴァントか」 一方のライダーも、目の前に現れた男を凝視する。 キャスター。確かにマスターの女は男をそう呼んだ。 戦場に赴きながら一切の武装も伴わないその姿を見ても、目の前の男が魔術師の英霊なのは瞭然だ。 ならば、キマイラの全身の筋肉が麻痺したかのように硬直したのは何らかの魔術を仕掛けたということか? 「――“Δεν μπορεί να σταθεί στο χορό”」 キャスターの呟きと共に巨大な影がライダー目掛けて飛来する。 ライダーは手綱を思いっきり引き、キマイラの硬直した肉体を僅かに駆動させてギリギリのところで回避する。 難を逃れたライダーだったが、飛来した物体の正体を見極めたところで彼は愕然となった。 『樹』――おそらくは周辺に植えられた公園樹の一本であろうそれが、根をまるで足のように用いて眼前に“立って”いたのだ。 「“Δεν μπορεί να σταθεί στο χορό(どうして踊らずにいられるだろうか) Δεν κάνει καμία προσπάθεια να(こんなにも労せず舞うことができるというのに)……”」 キャスターの詠唱に呼応するかのように樹木が身を躍らせる。 それは、見ようによってはメルヘンチックな光景だと言えたかもしれない。 樹木が根を動かしてステップを踏み、茂る枝葉を振ってダンスを踊るかのように動いているのだ。 まるで絵本の中のような光景だが、しかしてその勢いが尋常ではない。 乱流の如き風圧を纏って大きく横薙ぎに幹を振るう樹木。それは攻城戦の破壊槌もかくやという勢いでもってライダーへと襲いかかる。 だが、それを受けるライダーとて尋常の兵ではない。キマイラの動きが本調子でないと見るや手綱から手を離し、 両手で握った槍でもって迫る樹木を一振りで両断してみせたのだ。 本業の槍兵にも劣らぬ槍技の冴え。だがその業前を嘲笑うかの如く、樹木は再び身を躍らせる。 両断された樹幹は何とその勢いを全く衰えさすことなく、二本となった樹身で双方向からライダーへと襲いかかっていった。 「なッ…!?」 ライダーは即座に槍を振るい、二つに分かたれた樹幹を連続で切り落とす。 だが、そうして生まれた四本の木片は、今度は四方から突撃を繰り出してくる。 これでは迎撃しても敵の手数を増やすだけ……そう察するも、キマイラの機動力を奪われたライダーは槍で応戦するしかなく、 振り払い、砕いていく度に宙を舞う木片はその数を増やしていく。 「“Πόσο μεγάλη είναι η χαρά(なんと大きな喜びだろう) Ας αργά ή νωρίς(早朝でも、夕暮れ時でも), Επιπόλαιες float(谷と丘の上を) Πάνω από την κοιλάδα και τους λόφους.(気軽に舞うことは)……”」 何合にも渡る打ち合いを経て、キャスターが操る踊り手の総数はいつしか二十を超えていた。 これほど手数に差が出ては、ライダーにも防ぎきることは叶わない。機銃掃射のごとき乱撃の中、打ち漏らした木片が幾つも身体に叩きこまれ、 その身には痣や傷がじわじわと増え始めてきている。 「……すごい……」 その光景を、みことは感嘆と共に眺めていた。 魔術の知識をもたない彼女にも、キャスターの操る術の高等さは理解できた。 「……」 一方のキャスターはそんな主の驚嘆も、敵の驚愕もまるで意に介さずただただ冷ややかに術の制御に精神を集中させていた。 敵を打ち倒さんというのではなく、まるで障害物を取り除こうとでもしているかのような淡々とした態度。 おおよそ闘争に臨んでいるとは思えぬ振る舞いが、対手たるライダーに激昂を滾らせる。 「貴様……舐めるのもいい加減にしろッ!!」 手綱を引いて、キマイラを強引に後方へと引き下がらせる。 すぐさま追撃せんと飛来してくる木片の群れ。 そこにキマイラの獅子頭が大きく口を開け、何とそこから紅蓮の炎を吐き出した。 口腔より噴出した火炎によって幾十もの木片は灰と化し、ついにその動きを止めた。 「……ほぅ」 これには少しばかり驚いたのか、キャスターが声を漏らす。 「随分と好き勝手してくれたな……だがこれで終わりだ!」 手綱から伝わってくる感触から、ライダーはキマイラの動きを縛る魔術の効果が既に薄れてきているのを悟った。 アサシンにやられた傷も、驚異的な再生力によって半ば治癒している。 万全ではないとはいえ、相手は白兵戦能力を持たないキャスターのクラス。真っ向からの全力突撃を放てば押し切れない道理は―― 「……“ηρεμία(鎮め)”」 今、まさに飛びかからんと大地を踏みしめたキマイラの巨体が、そのときキャスターの一言によって制せられた。 一度目の時と同様に、まるで見えない鎖で縛られたかのように硬直するキマイラの肉体。 背上のライダーは、信じがたいという表情で目の前のサーヴァントを凝視する。 (……まさか、今の詠唱だけで術を掛けたというのか!?) 有り得ない出来事だった。今、ライダーが手綱を握るキマイラは正真正銘の『魔獣』――幻想種だ。 本来ならば幻想の中にのみ生存する獣。在り方そのものが神秘である彼らは、それだけで魔術を凌駕する存在だ。 その神秘の格はモノによっては五つの魔法と同等。その肉体は儀礼呪法クラスの大魔術とて簡単には通さない。 だというのに、たかだか一小節や二小節の詠唱だけで、こうも容易くその動きに干渉するなど……。 「“Μην βιάζεστε, διαμονή, (急ぐな、立ち止まれ) Ιδού, ο ίδιος παραμένει το μόνο σύννεφο billowed έξω.(見よ、月は留まり、去っていくのは雲だけ)……”」 術式を補助するための礼装も、陣もなく、ただ口頭での詠唱だけでキマイラを縛るキャスター。 続々と呪文が紡がれ、キマイラの肉体への負荷が刻一刻と増していくのをライダーは感じていた。 このままでは完全に動きを封じ込めれれ、下手すれば支配権を乗っ取られる可能性すらある。 焦燥感に苛まれ歯噛みする。そうこうしている最中にもキャスターはまるで歌うように滑らかに呪文を発し、術式を上乗せしていっている…… 「……」 そこで、ライダーの思考ははたと立ち止まる。 “まるで歌うように”というよりも、これはむしろ―― 「……なるほど」 ライダーの眼の色が変わる。と、同時に騎兵は右手に掴んだ槍を振り上げ、 「そういう――ことかッ!」 それを跨下のキマイラの脇腹へと思いきり、鞭のように叩きつけた。 『GUUUUURUUUUUUUUUUUOOOOOOOOOOOAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!』 全身を走る激痛にキマイラが堪らず絶叫を轟かす。 突風と見まごうほどの莫大な音圧が、そのとき周囲の全ての音を一瞬でかき消した。 無論、それはキャスターの呪文も例外ではなく―― 「―――!」 驚愕の表情でキャスターは口を動かすも、そこから発せられているのであろう言葉はキマイラの咆哮に掻き消され、ライダーの耳には聞こえない。 “聞こえない”。それを認識すると同時に、キマイラの肉体が戒めから解き放たれたのを感じた。 (やはりか……!) 本来、魔術師が唱える呪文というのは自分自身に訴えるためのもの。つまるところ自己暗示のためのスイッチでしかない。 だがそれとは逆に、呪文を“聞かせる”ことによってその相手に直に干渉する特殊な魔術体系も存在するという。 呪文に旋律をつけ、唄うように発する『呪歌』……眼前のキャスターが用いた魔術も恐らくはこのタイプだったのだろう。 そして相手に聞かせることで発動するというのなら、より大きい音で掻き消すことが出来れば術は打ち消されるということに他ならない。 『GUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!』 雄叫びとともにキマイラの巨体が地を跳ねる。 呪歌による枷から解き放たれた怪物はこれまでの鬱憤を晴らすが如く筋肉を躍動させ、砲弾も同然の勢いで跳びかかる。 キャスターとの間合いはもはや十歩に満たず、その間を阻む障壁は皆無だった。 「その首、貰ったぁッ!」 勝利の確信と共にライダーは鬨(どき)の声を上げる。 しかしその快哉は、 「――“θα κοιμηθεί απαλά στα χέρια μου( 安 ら か に 眠 れ 我 が 腕 の 中で)”」 潸然と響き渡った一節の歌声によって阻まれた。 X X X X X ……何が起こったのか、ライダーは理解できなかった。 まずキマイラの咆哮。周囲の大気をあれほど激しく震わせていた轟音が、いかなる事か一瞬にして消え去ったのだ。 前兆も脈絡もなく訪れた一瞬の静寂。そこに覆い被さるように紡がれたキャスターの呪文。 それによってキマイラの挙動はまたも標的の目前で制止させられることとなった。 ライダーは改めてキャスターを瞠目し、そこで眼前のサーヴァントの手に握られた“それ”に気づいた。 キャスターの手にいつの間にか握られていたもの、それは一挺の『竪琴』だった。 陽光のように淡く輝く竪琴(キタラ)。そこに張られた弦の一本一本が、内側で膨大な魔力を渦巻かせているのをライダーは霊感力によって知覚する。 推し量るまでもなく、あの竪琴はキャスターの宝具に相違なかった。 ――あれを使って、奴はキマイラの咆哮を無効化したというのか? 「……音というのは、その実態は空気を伝わる波だ」 ポン、と竪琴の弦を一本弾いてキャスターは口を開いた。 「だからこうやって何らかの形で“全く位相が逆の音”を発すればどんな轟音だろうと相殺し無音に戻すことができる。 驚くことはない、ごく単純な原理だ……」 何でもないことのように言い放つキャスター。だがそれを聞いてライダーの驚愕は一層大きさを増す。 確かに理論的には可能なのかもしれないが、あの一瞬でキマイラの咆哮の音域を見極め、 更にそれと全く逆位相の音を竪琴を弾いて正確に発するなどということを、現実に行える者がいるというのか? (……いや) 心当たりはある。これほどの楽才、魔力を持った歌声、そして何より自身の象徴たる宝具を“竪琴”に定めた英霊となれば…… 「オルフェウス――貴様、“竪琴弾き”のオルフェウスか!?」 これだけ揃えばもはや間違えようがない。 目の前のサーヴァントはギリシャ全土にその名を知らしめた歌聖、オルフェウスに相違なかった。 「お、オルフェウスですって……?」 その名を聞いて、みことは己のサーヴァントを瞠目する。 「……え、誰? 有名な人なの?」 「ちょっ、夏海知りませんの!?」 オルフェウス、類まれな音楽と歌の才能を持った神代の歌人。 彼の奏でる調べは鳥や獣をも虜にし、草木を踊らせることすら可能にしたという。 その伝説は数多くの芸術作品に主題として取り上げられており、知名度は充分にあるはずだが……。 「いやー、あたしあんまり本とか読まないからそういうの疎くって」 「夏海、あなた……」 みことは呆れたように肩をすくめ、改めてキャスターに目を向ける。 宝具を出した時点で覚悟はしていたのか、真名を看破されたことで取り立て狼狽するような空気は見られない。 相も変わらず、暗澹たる面持ちのまま眼前のライダーと向き合っていた。 「なるほどな、道理で……」 ライダーはようやく得心したという様子でキャスターを捉える。 真名が明らかになった今では、魔獣キマイラにああも容易く術を掛けたのも納得がいく。 その歌と竪琴の調べは、かの地獄の番犬すらも調伏したと言われているのだ。 幻想種相手の魔術戦は不得手どころかむしろ奴にとっては真骨頂と言えるだろう。 「まさか、かの竪琴弾きと矛を交える機会があるとは……くく、これが聖杯戦争の妙というものか」 「……そういう君は」 そこで、ふとキャスターが口を挟んだ。 「そういう君は、もしやベレロフォンではないか? ライダー」 「ッ!?」 キャスターの発言にライダーが目を見開く。 「あれほど自在に魔獣を乗りこなす騎乗術。それに何よりその黄金に輝く手綱、 同郷の人間なら見間違うはずもないさ。“天馬騎兵”ベレロフォン」 「………」 真名を看破し返されたライダーは、むしろ清々しいほどの様子で表情を引き締める。 古代ギリシャにて、戦女神から手綱を授かり、天馬ペガサスに跨って大空を駆けた英雄、ベレロフォン。 それこそがライダーの真なる威名であった。 「……そうだな。当たりだよ。 全く驚きだぜ。こんな所で“同じ格”の英霊と相まみえることになるとはな」 竪琴弾きのオルフェウス。 天馬騎兵ベレロフォン。 直接の面識はない二人だが、両者の繋がりは同じギリシャ神話にその伝説が綴られたというだけには留まらない。 ギリシャ神話に登場する数多の英傑たち。その中でも筆頭とされる七人の英雄。 その名も高き“ギリシャ七英雄”。キャスターとライダー、彼らは共にその一角を担う存在であった。 「だが、何故今の君はキマイラなどに乗っているのだ? それは君が討ち倒したはずの怪物では」 「それは聞くな」 キャスターの問いかけを黙殺するライダー。 だが彼の言うとおり、ベレロフォンは“ペガサスに乗ってキマイラを打破した英雄“だ。 それがキマイラに乗って戦っているなどということは普通に考えれば有り得ないことではある。 『――ペガサスはいない、ですって?』 ライダーが現世に召喚された夜、召喚者たるファーティマも同じ疑問を口にした。 『ああ。この聖杯戦争というシステムだが、どうやら生物をそのまま宝具として再現することまでは出来ないようだ。 自前で幻想種を召喚する能力があれば呼び出すことも出来るんだろうが、あいにくオレにはないのでな』 『じゃあ……』 『何、心配は無用だ』 そう言って、ライダーは虚空から金色に輝く一本の手綱を出現させてみせる。 『こいつは括りつけた騎乗物に“何であれ”魔獣の格と力を与えることが出来る。 生前は天馬がいたから能力を発揮する機会もなかったが、こいつがあれば乗機には事欠かねぇよ』 それは、『屠獣熔鉛(カウンター・キマイラ)』と共に彼が携えたもう一つの宝具、 戦女神アテナより賜りし神器、『黄金の手綱(ポリュエイドス)』に他ならなかった。 『馬乗りが本分とはいえ、オレなら他の獣だって十全に乗りこなせる。 獅子でも虎でも、好きな得物を持ってくりゃあいい』 『ふぅん……』 何の気なしに発せられたライダーの言葉に、ファーティマは何やら考えこむような仕草を見せる。 この時、ライダーは知らなかった。自身を召喚したマスターが“死体細工”を専門とする魔術師であったことを。 その後、ファーティマはどこからか素体となる獣の骸一式を調達し、あろうことか彼の宿敵たるキマイラの複製を創り上げたのだ。 『どう、よく出来てるでしょう? これに貴方が手綱を掛ければまさしく神代の怪物をこの世に再現できるわ』 ファーティマの仕事は完璧だった。獅子の頭、山羊の銅、蛇の尾、まるっきり異なる生物同士の筋肉と神経を繋ぎ合わせ全ての部位を駆動可能にし、 おまけに如何なるからくりか、肺腑から炎を生成し噴出する器官まで精緻に再現してのけたのだ。 『……何、気に入らないの? 少なくとも貴方が生前乗ってた羽の生えた馬より余程実戦的だと思うけれど』 自分のマスターという立場でなかったらその場で括り殺してやってもいい憤慨ものの発言だったが、 業腹ながら認めざるを得なかった。これほど凶悪無比な騎獣など、現世では他に望むべくもない。 それに、そもそもこの怪物の恐ろしさは『自分が一番良くわかっている』のだ。 ――しかし、その謹製のキマイラも今はハリボテ同然の有様だった。 キャスター、オルフェウス。その魔性の歌声に骨抜きにされたのか、 魔獣は全身の筋肉を完全に弛緩させ、ぐったりと四肢を投げ出して意識を失っていた。 「……まあ良い。何れせよ、そのキマイラはもう覚めることのない眠りについた」 キャスターがその手に顕現した宝具、『魂響の竪琴(フォルミンクス・アポロ)』。 その音色と共に発せられた呪歌は魔獣キマイラの持つ抗魔力を完全に突き抜け、その調べは魂の深奥にまで響き渡っていた。 「先ほどのように時間経過による劣化も起こらない。私自らが解呪するまでその獣は目覚めはしない。 どうする、ライダー? 騎獣を封じられては戦闘の続行は不可能ではないか……?」 「……」 ライダーは目を眇めて、敵手たる同郷の英霊を見据える。 「なるほどな、流石はその名も高きオルフェウス。見事な業前だ。 同じギリシャの英雄として敬服しよう。―――だがな」 しかと手綱を握りしめ、ライダーはカッと双眸を見開いた。 「この程度でオレを縛ったなど――思い上がるなよ楽士風情が!!」 咆哮とともにライダーの全身から魔力が迸る。 湧き上がった力は握りしめた手綱を通して跨下のキマイラへと流れこむ。 “……目覚めろ、キマイラ! このオレの騎獣となった以上、無様に倒れ伏すことなど断じて許さん!” 確たる一念を持ってライダーは手綱を引き上げる。 それに呼応するかのように、意識を失った筈のキマイラの四肢があろうことかゆっくりとその身を持ち上げ始めた。 「……何だと……!?」 その光景にキャスターは驚愕する。 『魂響の竪琴(フォルミンクス・アポロ)』によって強化された呪歌は完全な形でキマイラの心身を拘束した。 外部から他者が解呪することなど出来るはずがない。 ……いや、そもそもライダーは何ら魔術的な措置は行ってはいない 信じがたいが、あのサーヴァントは『獣を乗りこなす』という技能だけでもって、魔術的に拘束されたキマイラ覚醒させている――! そうはさせんとキャスターが再び竪琴を爪弾く。術式の補強によってキマイラの四肢はみるみるその力を萎えさせる。 だが、ライダーが強引に手綱を繰ると、またも怪物の巨体は魔歌の鎖を引きちぎらんとその筋肉を奮わせる。 ――オルフェウスとベレロフォン。どちらも共に“魔獣を従える”ことに特化した技能を有する英雄同士。 両者の振るう神代の御業は、今ここで完全に拮抗していた。 「“Δώσε μου το χέρι σου, είσαι όμορφη και απαλή πράγμα!(手をお出し、美しく繊細なるものよ) Είμαι φίλος και όχι να τιμωρήσει.(私は君の友であり 罰するために来たのではない) Έχε θάρρος! Δεν είμαι άγριο(心をしずめて。私は君を傷つけないから)……!!”」 竪琴の奏でる調べと共に、キャスターは更なる呪歌の詠唱を重ね掛け、キマイラの動きを封じこめんとする。 ライダーが送り込んだ魔力によって、今キマイラの肉体に脈動するエネルギーは先程までとは比較にならないレベルに膨れ上がっている。 ここで呪歌による拘束を振りきって飛び出されたら、その勢いは自身と、その後ろに控える二人の少女を一瞬で粉砕してもおかしくはない。 一部の気の緩みも許されない。拮抗しているようでいてその実、今の自分は追い詰められたも同然の状態だ……!! 「うぅぅぅぅぅぅぅうおぉぉぉぉぉおぉぉぉおおおおおおおおおお!!」 一方のライダーも、キャスターの呪歌に対抗せんと激しく両手で手綱を振るう。 何とかして一刻も早くこの拮抗状態を打破せねば……! ライダーは眼球を一瞬チラリと動かし、離れたところに鎮座する巨大な鉛球の様子を伺った。 『屠獣熔鉛(カウンター・キマイラ)』。それは、包まれた相手が内側から壁に攻撃を加えればその衝撃を相手へと跳ね返す効果を持つ。 ゆえに一度拘束されれば内側から破ることは決して叶わない。 だが、展開拘束状態の『屠獣熔鉛(カウンター・キマイラ)』はその維持にかなり大きく魔力を消費する。 キマイラを起動させるために魔力を注ぎ込んだこともあって、その拘束の持続には限界が近づいていた。 キャスターも、後ろのマスター二人も気づいてはいないようだが、既にその表面はボロボロと剥離し始めている。 相手が無知な獣であれば、攻撃の反射などお構いなしに暴れまわってとっくに自滅していてもおかしくはないのだが、 今、中にいる暗殺者の英霊はそんな蒙昧ではない。むしろ宝具の限界を察して飛び出す機会を虎視眈々と伺っていると考えるのが常道。 ゆえに、この状況が長引けは自分は圧倒的不利に立たされることとなる。 一部の気の緩みも許されない。拮抗しているようでいてその実、今の自分は追い詰められたも同然の状態だ……!! キャスターとライダー。二人の英霊の手によってキマイラは覚醒と昏倒を連続で繰り返し、痙攣も同然の有様でその巨体を小刻みに振るわせる。 二人のサーヴァントがせめぎ合う極限状態は、背後のみことと夏海にも呼吸すら忘れさせるほどの緊張をもたらしていた。 「みこと……」 耐え切れず、夏海が不安げな声を漏らす。 「……大丈夫よ、落ち着きなさい」 そう宥めてみるも、内心穏やかでないのはみことも同様だった。 今にも眩暈を起こして倒れそうなほどに、心中はざわめき極度の不安と緊張で押しつぶされそうになる。 だが、ここで倒れる訳にはいかない。今、自分たちを守ってくれているサーヴァント、 それを現世に留めているのは他ならぬ自分自身なのだ。 体内にひりつくような痛みを感じる。あの夜、キャスターを召喚し実体化させた時のように みことの全身はサーヴァントの力を引き出すために今も魔力を生み出しているのだろう。 「今は、信じるしかないわ……キャスターを」 二人の少女が見守る中、騎兵と魔術師は互いの持てる技を駆使して鎬を削りあい続ける。 何人たりとも割りこむことなど出来ぬ英霊二人の拮抗状態。 そこに、不意に言葉が投げかけられた。 「――――随分と苦戦しているようね、ライダー」 四者が一斉に声の主へと目を向ける。 いつの間に現れたのか、一人の女の姿がそこにあった。 みことらよりも幾分年上だろう。褐色の肌に、黒い髪。眼鏡を掛けた理知的な風貌の美女だ。 サーヴァントの気配ではない。にも関わらずこの状況に首を突っ込んできたとなれば…… 「……ファーティマ!?」 最初に反応を示したのはライダーだった。 「何故ここに……お前、工房にいたはずじゃなかったのか!?」 「ええ、そうよ。でも見ていられなくなってしまって」 二人のやり取りを見て、残りの三人も理解する。 この女が、ライダーのマスターに違いない―― 「初めまして、お嬢さん方。私はファーティマ・アブド・アル・ムイード。 ライダーのサーヴァントを召喚し、此の地で開かれた聖杯戦争に挑むマスターの一人です」 女は微笑を浮かべながら朗々と名乗りを告げる。 そのあまりの慇懃さに逆に不気味なものを感じ、みことと夏海は後退り距離を取る。 「まあ、そう警戒なさらないで。私は話し合いがしたくて参っただけですから。 ……志那都みことさん?」 不意にフルネームを呼ばれて、みことはビクリと身を震わせた。 「実は折り入って貴方に交渉したいことがあるのです」 「い、一体どういう用件ですの!?」 自分の名前を一方的に知られていたことで、みことは一層警戒の念を深める。 だが次に続いた言葉は、彼女の全く予期せぬ内容だった。 「はい、もし私の願いを聞いてくれたならその御礼として、 “貴 方 の 恋 人 の 身 体 を 修 復 し て”差し上げます」 ――――それを聞いた瞬間、みことは目を見開き、心臓を大きく高鳴らせた。 「な、何で……」 「何で知っているのか、ですか? それくらいちょっと調べれば分かることです。 貴方の恋人は重傷を追って入院中。今も意識は不明。 もはや治る見込みもなく、貴方は最後の手段たる願望機を求めてこの聖杯戦争に参加した。そうですね?」 みことは絶句する。ファーティマ……この女の言うことは何から何まで事実だった。 「ですが、医学では治る見込みがなくとも、私の魔術の業をもってすれば貴方の恋人を修復することは可能です。 全ての破損部を修復し、以前のように歩けるように、喋れるように、笑えるようにして差し上げますよ」 最早どうやって調べたのかなどと問いただすことも忘れて、みことは衝撃に打ち震えていた。 “彼、”を元通りに戻すことができる……それが事実なら、自分は―――― 「……本当に、そんなことが……」 「ええ、勿論です。そのためには、ただ一言」 ファーティマは優しくみことに微笑みかけ、そして告げた。 「こう言ってくれるだけでいいんです。“令呪を持って命ずる。キャスター、自害せよ”と」 その発言に、その場にいる全員に戦慄が走った。 「な、何を言ってやがるファーティマ!!」 ファーティマが提示したその内容。 それに最初に反応を示したのはまたも彼女のサーヴァントだった。 「キャスターはオレがこの手で打破する! 余計な真似をするんじゃねえ!」 「強がりはよしなさい。それが出来そうにないからわざわざこうして出向いてきたんでしょう。 いいから貴方はキマイラの制御に集中して、そのままキャスターを抑え込んでいればいいから」 「……!!」 にべもなく糾され、ライダーは屈辱で口元を引きつらせる。 対照的にファーティマはにこやかな雰囲気を崩さず、再度みことに問いを投げかける。 「どうです? サーヴァントを失えば貴方の脱落は確定ですが、 そもそも貴方の目的は『勝利すること』ではなく『恋人を元通りにすること』。 その願いが叶うなら、敗退したところで問題はないはずです」 「そっ、それは……」 みことはそっと己のサーヴァントの様子を疑う。 「……」 相変わらず陰鬱一辺倒の面持ちを崩さぬまま、ただ眼前のキマイラに集中しているキャスター。 一見しても狼狽の色は伺えないが、自分の命を身代金も同然に扱われてるこの状況で一体何を思っているのか。 「私が約束を違えるかもしれないと心配しているなら、誓いを反故に出来ぬよう魔術的に契約を交わしても構いません。 何なら自己強制証文(セルフギアス・スクロール)を作ってもいいですよ。……といっても貴方にはピンと来ないでしょうか」 「……」 ファーティマの言い分は最もだ。最後まで勝ち抜けるかどうかも分からない闘いを命懸けで続けるよりも、 今ここで彼女の交渉に応じたほうが確実に望みは遂げられる―――― 「いかがします? 悪い話ではないでしょう」 「そう、ですわね……決めましたわ」 微笑むファーティマに、みことは毅然と表情を引き締め、そしてキッパリと口にした。 「その申し出―――――お断り致しますわ」 「……えっ?」 断られるなどまるで思っていなかったのか、ファーティマは鳩が豆鉄砲食らったように目を見開く。 「な、何故です? これなら貴方の望みは確実に叶うのですよ?」 「確かにわたくしの望みは叶うかも知れません。でも、それではわたくしのサーヴァントの願いは果たされません」 そう言ってみことはキャスターに言葉をかける。 「キャスター、あなたが聖杯に掛けた願いというのは、あなたの妻エウリュディケを復活させることなのではありませんか?」 「――ッ」 その名前を聞いて、キャスターはついぞその鉄面皮に変化を見せる。 オルフェウス。彼の主たる伝説とは愛する人の喪失と再生を巡る物語だ。 婚姻の直後に、愛する妻を毒蛇の一噛みによって失ったオルフェウス。 彼はその死を受け入れることが出来ず、単身で死者の国、冥府へと降り立った。 門を守る番犬も、死の川を塞ぐ船渡しも、その竪琴と歌が織り成す調べで魅了してくぐり抜け、彼は冥府の王の元へと辿り着く。 自らの悲痛な想いを歌に乗せて訴えかけた彼は、冥王の心までをも動かし、亡き妻を地上に連れ戻す許可を得る。 だがそこで交わされた“地上に戻るまで決して後ろを振り返ってはならない”という約束。彼はあと一歩というところで不安に駆られて後ろの妻を振り返り、 そして、最愛の人を永遠に失うこととなった――――― 「あなたの物語、小さい頃に読んだことがありますわ。 愛する人を取り戻したい……その気持ち、今のわたくしには痛いほど分かります。 ですから決めました、わたくしはあなたと“共に”聖杯を勝ち取ると! 分かったらそんなところで立ち止まってないで、さっさとケリを付けなさい!!」 「…………」 みことの叫びに、キャスターは沈黙によって応じる。 言葉による返答はなかったが、何かに感じ入るように目を閉じたその面貌は、心の動きを雄弁に物語っていた。 「……はぁ、そうですか」 そこで、ファーティマが呆れたように肩を竦めた。 「そこまで言うなら私からはもう何も言いません。 ですが、忘れていませんか? 貴方のサーヴァントは私のライダーと膠着して身動きがとれない状態」 ファーティマはすっと右手を上に掲げる。 「この状況で私が攻撃すれば、貴方がたにそれを防ぐ手段はないということを――!!」 「……貴方こそ」 ――――そう言い放った直後、 褐色の女の首は一刀のもとに切り落とされた。 「誰か一人、忘れているんじゃないかしら。マスターさん?」 ゴロン、と音を立てて転がる生首。 断面から噴水のように鮮血を迸らせながら膝をつく首無の骸。 その後ろに立っていたのは―――― 「……あ、アサシン!?」 「ごめんなさい。待たせたわね、ナツミ」 刃に付いた血を振り払いながら応じる黒衣の影。 それは鉛球に閉じ込められていたはずのサーヴァント、アサシンに他ならなかった。 「馬鹿な、貴様どうやって……!?」 驚愕の面持ちでライダーは『屠獣熔鉛(カウンター・キマイラ)』へ目を向ける。 剥落が進行し、幾らか崩れかけてはいるものの、まだ脱出できるレベルに達しては…… そこで、ライダーは思い出した。拘束の直前にアサシンが見せた術。 “小さな虫への変化”。あれれを用いれば、どこか一か所極小の穴が空くだけでヤツはその身をくぐらすことが出来る―――― 「まさか、あんな宝具を持っているのは思わなかったわ……間一髪だったわね。二人とも怪我はない?」 「あ、あたしたちは大丈夫だけど……」 おずおずと、夏海は首と胴が分かたれたファーティマの肉体を覗き見る。 「この人……もう」 「ええ、死んだわ」 アサシンは躊躇いなく言い放つ。 「妾身が殺した。……そうしなければ、貴方たちが殺されていただろうから」 「……」 アサシンの言葉に夏海も、傍らのみことも黙りこむ。 目の前で人が殺される。そのような事態に遭遇したのは二人とも初めてなのだろう。 とりわけ、夏海にとっては自分のサーヴァントがこうもあっさり人の命を奪ったことに少なからずショックを覚えているのかもしれない。 だが、こればっかりは受け入れてもらうしかない。聖杯戦争に参加した以上、避けては通れないことだから。 アサシンは表情を引き締め、対峙する二人のサーヴァントへ顔を向けた。 「ライダー、貴方のマスターはたった今討たれた。 もうじき貴方は現界を絶たれ、この世から消滅する」 「…………」 アサシンの宣告に、ライダーはうなだれるようにがくりと頭を垂れる。 「……………………………………オレの……………… ………………………………オレの……負けだ……」 俯いたまま、かすれ消えそうな声でライダーは言った。 「………………だが……このまま消えるのは心憎い…… 最後まで闘いを全うしたい……アサシン……最後は、せめて……お前の手で……」 「……分かったわ」 アサシンはキマイラの上に飛び乗り、ライダーの背後に立った。 ライダーの身が小刻みに震え上がる。 「安心しなさい。痛みも感じないよう一瞬で終わらせるから」 匕首を構え、その首に狙いを定める。 「……じゃねぇ……」 そこでふとライダーが言葉を発した。 ……今、何と言った? アサシンは手を止めてライダーの顔を覗き込む。 「……ふざけんじゃねぇぞ…………」 その相貌の凄まじさに、アサシンは思わず息を呑んだ。 大きく見開かれた目は炎のように滾り、噛みあわせた歯は自ら砕かんばかりにギリギリと音を立てる。 「……ライダー?」 正面に立っていたキャスターも異変を感じ、怪訝な表情を浮かべる。 これが今から死のうとしている男の顔か? とてもそうは見えない。この表情はむしろ…… 「……ふざけんじゃねぇぞファーティマァァァァァァァァァァァァァ!!」 怒り。その面持ちに瞭然と刻まれた激昂の感情そのままに、ライダーは絶叫を上げた。 「よくも……よくもこのオレに……“ 負 け た ”な ど と 言 わ せ て く れ た な!!」 それと同時に、信じがたいことが起こった。 みことと夏海の傍らに伏していた首無し死体。 それが猛然と飛び上がって、二人の少女の身体を押さえ込んだのだ。 「なッ……!?」 その光景を見てアサシンは悟る。 ライダーのマスター、あの魔術師は“死体を操る”ことが出来る。 先ほど自分が首をはねたのはマスター本人ではない。そのように偽装した死体だったのだ。 すぐさま二人のもとへ向かわんとするアサシンを、更なる衝撃が襲った。 キマイラ。その腹が突如として爆ぜ割れ、中から飛び出た腸が触手の如く伸び広がって瞬く間にアサシンと、正面にいたキャスターにも巻き付きその身を締め上げた。 両手両足に加えて顔面にも腸管が巻きつけられ、二人のサーヴァントは身動きも言葉を発することもできない。 それを驚愕の表情で見据えるライダー。どうやら彼も、自身の騎獣にこのような仕掛けがあるということは知らされていなかったらしい。 「仕方ないじゃない、この娘たちからアサシンを引き離すにはあれが一番手っ取り早かったのよ」 地面に転がった生首が平然と言葉を発し、ライダーに応える。 「しかし貴方も頑固ね。こころよく承諾してくれればわざわざ令呪を使う必要もなかったのに」 ゴロンと首を回転させ、ファーティマ――この場にはいない本物の彼女は、断ち切られた死体頭部の視覚を通じて 死体胴体部によって押さえ付けられた二人の少女に目を向ける。 「あ、あなたこんな卑怯な真似をして恥ずかしくありませんの!?」 死体の手で頭を地面に押し付けられながらみことは目の前を転がる生首に向かって糾弾する。 「そ、そうだよ! それにこんなふうに死んだ人の体を道具みたいに使うなんて、酷いと思わないの!?」 背中にのしかかられた夏海も同様に声を荒げる。 「卑怯? 酷い? 言ってる意味がよく分かりませんね。 大体死体を使役することが酷だというのなら、この聖杯戦争はどうなるんです? 遠い昔に死んだ英霊を蘇らせ使い魔とする――――それは屍人形と何が違うというのかしら」 最早根本的に価値観の異なる回答に、みことと夏海は絶句する。 ……そのとき、二人は自分を押さえつけている死骸の体温が急激に上昇していくのを感じた。 そこで二人は気づく。そう、この女の操る死体はただ動くだけではない。 自爆――ライダーが現れる前に自分たちに襲いかかってきた死者の群れが行っていたそれを思い出し、全身に怖気が走る。 こんな密着状態で爆発されては間違いなく致命傷だ。おまけに先ほど守ってくれたアサシンも、キャスターも拘束されて身動きがとれない。 二人に打つ手はもう――――なかった。 「それではさようなら、お嬢さんがた。 心配しないで。爆散した死体は綺麗に修復して、ちゃんと役立ててあげるから――!」 ――――そこで、 今まさにその身を炸裂させんとした死体は“音もなく”バラバラになった。 体内の爆発機構が壊滅するほど細かくその身を寸断され、肉片が芝生の上へ舞い落ちる。 うつぶせにされていたみことと夏海も、巻きついた腸管で視界を封じられたアサシンとキャスターもそれを見ることは出来ず。 ただ、地面に転がった生首の両目だけが、その光景を目撃していた。 「――――ラ、 ライ……ダー……?」 ファーティマの意識をトレースした生首は、唖然とした面持ちで目の前に立つ己のサーヴァントを凝視していた。 一瞬の出来事だった。みことと夏海を押さえ込んだ死体を爆破させようと術を繰ったそのとき、 キマイラの背上からライダーが疾駆の如く飛び出し、刹那の内に死体を槍でバラバラに切り裂いたのだ。 「な、何をしているの!? あと一歩で敵のマスターを二人まとめて倒せたというのに!」 「言ったはずだぞ、ファーティマ。余計な真似はするな、と」 もはや怒りの頂点を通り越したのか、冷たく凍るような視線でライダーは主の顔を模したその首を睥睨する。 「英霊同士の闘いに――――――茶々入れてんじゃねぇよ!!」 怒号と共に槍が振り下ろされ、女の首は原型も分からぬほどに砕け散った。 「……あれ?」 「な、え?」 自身を押え込んでいた圧力が消えたことにようやく気づき、みことと夏海をその身を立ち上がらせる。 主たるライダーがその身から降り、『黄金の手綱(ポリュエイドス)』の効力が失われたキマイラは、 その肉体を元の死体細工へと戻し、二度の戦闘にわたって蓄積したダメージの影響に耐え切れずぼろぼろと崩壊していった。 ほどなくして、腸管の拘束がほどけ、解放されたアサシンとキャスターが駆け寄ってくる。 「……ライダー」 「言っておくが、勘違いするなよキャスター」 ライダーは憮然とした面持ちで言い放つと、右手に携えた槍を背負った。 くい、指を手前に曲げると、展開された『屠獣熔鉛(カウンター・キマイラ)』が瞬時に野球ボール程の大きさに圧縮され、その掌中へと飛び込んだ。 「あんな形でマスターに水を差されて終わらせられるなど我慢ならなかったというだけだ。 貴様とはいずれ、真っ向から決着を付けてやる。……アサシン、お前もだ。忘れるなよ」 ライダーはそう言い残し、瞬く間にその場から消え去っていった。 「……終わったの?」 「ええ、一応は」 夏海の問い掛けにアサシンが頷く。 「でも、勿論すべてが終わったというわけではないわ。 聖杯戦争が続けばこういう死地に何度も遭遇することになる」 「……」 夏海は表情を曇らせる。……ふと、そこで、みことが蹲って何かを凝視しているのが見えた。 「夏海、これ……」 そこにはライダーが騎乗していたキマイラ、その残骸とでもいうべきものが残されていた。 獅子の頭に、ヤギの胴体……どうやらあの怪物は見た目通り複数の動物の死体を掛け合わされて作れたものらしかった。 「このライオンの頭、これってひょっとして……」 「……あ」 みことの言葉で夏海も思い出す。確か今朝のニュースで市内の動物円で飼育されていたライオンが急死したと伝えられていた。 そういわればその面影には見覚えがある。となればこの死体は…… 「ううん、これに限ったことじゃない。他の動物も、それにあの人達だって……!」 「ええ、きっと自分で“用意”した死体なんでしょうね……」 みことの言葉に、夏海はぐっと拳を握り締める。 「この街を守るためにも、勝たなきゃならないよね……アサシン」 「そうね、妾身もそう思うわ」 アサシンは懐から小瓶を取り出し、その中身をキマイラの亡骸に降りかける。 「できればちゃんと弔ってあげたいところだけど……」 すると、その亡骸はみるみる内に水となり、地面に吸い込まれるように溶けこんでいった。 「これだけあると、そうもいかないしね。……それでもせめて土に帰すくらいはしてあげましょう」 同様の処置をそこら中に散らばった死体や肉片にも施し、数分と経たずに自然公園は普段通りの平穏な姿を取り戻した。 ……だが、それはあくまで表向きの話にすぎない。 真の平穏を取り戻すためには、この聖杯戦争を終われせることしかないのだから――― X X X X X 憮然とした面持ちで、ライダーは根城たるホテルの一室に帰還する。 「おかえりなさいライダー。早かったわね」 そこに待っていた主は、ライダーの予想に反して実に安穏たる態度で出迎えた。 先ほど公園で行われた闘い。その最後に行ったライダーの行動は謀反と言ってもおかしくないものだった。 それなのに何ら糾弾する素振りもないとは…… 「……怒ってないのか?」 「あら、何故私が怒らなければいけないの?」 「オレはお前の邪魔をしたんだが――」 「ああ、それならいいわ」 顔をしかめるライダーをよそに、ファーティマはにこやかに微笑んで応じる。 「令呪を一画消費してしまったのは惜しかったけど、収穫はあったわ。 あなた、思ったより強いじゃない」 「……あ?」 その言葉に、ライダーはぽかんと口を開ける。 「最初にペガサスがないと言われたときはどうしようかと思ったけど、『黄金の手綱(ポリュエイドス)』の効果は予想以上に優秀だったし、 特に、爆発直前で死体を一瞬でバラバラにされたのには驚いたわ。あなた、生身でも意外と強いのね。 これなら今後の戦略を上方修正できるわ」 「……」 賞賛されてるのか侮辱されてるのかすらよく分からない発言に、ライダーは返す言葉もなかった。 一体、この女はどういう価値観で動いているのか……まるで理解できなかった。 「……そういえば」 そこで、ライダーはふと思いだした。 「お前あの時、相手のマスターの恋人の怪我を治すとか言ってたが、そんなことが可能なのか?」 「ええ、もちろん可能よ。完全に修復して元通りに歩いたり喋ったり出来るようにね」 ただし、とファーティマは指を一本立てて補足する。 「それには、彼女の恋人に一度“死体”になってもらう必要があるけど…ね」 ウインクしながらそう言い放つファーティマを見て、ライダーはいよいよ頭を抱えた。 X X X X X その日の夜。 みことは“彼”の病室を見舞いに訪れていた。 「……今日は本当に色々なことがありましたわ」 みことが言葉をかけてもいつも通り反応はない。 「聞いてください、赤城くんの身体を治せるかもしれない。その方法が見つかったんですの。 ……いえ、“かもしれない”ではありません。必ず元のあなたに戻してみせますわ」 横たわる“彼”の手を握りしめ、みことは毅然たる態度で告げる。 今はこうしていても自分の手を握り返してくるような反応は見られない。 だがこの闘い、聖杯戦争に勝ち抜いて聖杯を手にすることが出来ればきっと―― 「……ぁ…………が………」 握った手がにわかに痙攣を始めた。 「……ぐあ……が………あ……がががが……!!」 「あ、赤城くん……?」 まただ……また、拒絶反応による発作症状を起こしたのだ。 「ま、待っててください。今お医者様を呼びますから……!」 「ぁ……ガッ……ガ……ぁガ……ガガガガガ…!!」 ベッドに拘束されたま苦痛に身を捩り、悶絶する“彼”。 そのあまりの痛ましい様子に、みことは思わず目を背ける。 聖杯の奇跡、それを齎す戦いの参加権を得た所で 今の自分には何もしてやれない。その事実が歯がゆく、そして無力感となって突き刺さる。 「ガ……ガガガガガ…!! が……! ……ぁ―――」 そのとき、ふいに“彼”の呻き声が止んだ。 「……え?」 みことは“彼”の姿を瞠目する。 こんなにすぐに発作が収まったことは今までになかった。 いや、収まったどころではない。身悶えもなく、赤子のように安らかに眠るその表情は平時ですら見られないものだ。 まるで、“彼”の肉体を苛む苦痛が一片も残さず消えてしまったかのような―― そこで、みことは気がついた。 耳を澄ませば微かに聞こえる、病室の中にそっと響き渡るその音色に。 それは“竪琴”の音だった。 X X X X X 病院の屋上の縁に腰掛け、猊下に街の夜景を一望しながらキャスターは竪琴を奏でていた。 その調べはかつて地獄で責めを受ける亡者の苦痛すら癒したもの。 この病院で床に伏せる患者たちを安らげるには充分に余りあるだろう。 弦を指でなぞりながら、キャスターは今日の戦いを回想する。 セイバー、ライダー、アサシン。この日彼が出会ったサーヴァントはいずれも劣らぬ英傑ぞろいだった。 自分が単なる一介の吟遊詩人としてこの現世に招かれていたのなら、喜んで彼らを題材に叙事詩を謳ったことだろう。 だが、今の自分にとってあの英霊たちは敵手。たった一つの聖杯を賭けて戦わねばならぬ相手なのだ。 「Ευρυδίκη(エウリュディケ)……」 最愛の女性の名を口にし、彼は覚悟を決める。 「“Ευρυδίκη, Ευρυδίκη(エウリュディケ エウリュディケ)! Ακριβά αποχρώσεις! Ω, πόσο μακριά είσαι;(亡き魂よ どこにいる)”」 一度ならず二度までも失った妻を想い、彼は歌った。 「“Ο άντρας σου, βυθίστηκαν βαθιά στο πένθος(汝の夫は 悲哀にくれ) και βασανίστηκε από τον πόνο,(苦痛を抱いて沈みゆく)”」 だがエウリュディケ。今度こそ、今度こそ君をこの手に取り戻してみせる。 もう決して振り返りはしない。 「“πάντα σας καλεί,(呼び続けよう 絶えることなく君の名を) απαιτεί ότι οι θεοί σας και πάλι.(神々が再び 君を返すその日まで)”」 負けるわけにはいかない。 逃すわけにはいかない。この好奇をどれほど待ち焦がれたことか。 勝つ。キャスターはそう決意を新たにする。 この戦争に勝利し、必ずや聖杯を手に入れて見せる。 私はそのために此処にいるのだ。 自分の愛する“彼女”を、 「“Οι άνεμοι, OH, απαγάγουν τις καταγγελίες του(たとえ風にその声を消されても)……”」 ――――そして、自分の主が愛する“彼”を、死の淵から救い出すために。 ───── Fake/firstwar fragments 『Der Tod und das Mädchen』 ~END~ ─────
https://w.atwiki.jp/sousakurobo/pages/1139.html
「ヴィガス、面を上げろ」 その高圧的な声によって、ヴィガスは混濁していた自らの意識を現実に引き戻すことが出来た。鎮静剤の投与による全身の筋肉に鉛を差し込まれたような倦怠感も、48時間以上の拘束による骨格の悲鳴も、肉体に付随する苦痛であれば無視することが出来た。 闇の中にぼんやりとした影が浮いている。闇に溶け込んではいるが、闇よりもなお昏い影。 「――――」 応答は視線のみ。轡球を噛ませられた状態では口が回る訳もない。元よりヴィガスにとってこの男と会話をすることは苦痛以外の何物でもない。 彼は椅子に座らされていた。ベージュの拘束衣を着させられ、照明はなく、裸足の爪先で触れた床は柔らかい材質で出来ており、それは頭部を打ちつけての自害は不可能となっている。 ――犯罪者か精神病者の扱いだ、それも重篤の。 指を弾く音がした。ついでヴィガスは、己の拘束帯が全て一斉に緩んだことに気付いた。 「任務だ」 ヴィガスは椅子に座ったまま腕をおろした。轡球を吐き棄て、暗い眼で、影である声の主を見据える。 ヴィガスは拘束帯を引き抜きながら、自分の足元に手を伸ばした。そこには金属製の筒状のヘルメットがあった。頭頂から顎まで完全に覆い隠す昆虫的なデザインのそれをヴィガスはかぶった。瞳孔と脈拍を始めとする生態認証システムが作動し、所持者を認識したヘルメットは、赤外線を視る能力をヴィガスの眼に与えた。 ヴィガスは立ち上がった。2メートルを十数センチ上回る巨漢である彼が直立すると、ヘルメットが天井にこすれる感覚があった。 影が告げた。歌うようでありながら、醒め切った響きをも帯びた声音だった。 「ゆくがよい、魔犬ヴィガスよ。火龍の顎門に牙を突き立てよ」 秘神幻装ソルディアン 第3話『群狼』 現在アバドン生物群の駆逐に最も戦果を上げているアブラクサス財団は一般社会的には大規模複合企業(メガ・コングロマリット)として認識されている。だが対アバドン専用の民間軍事契約業者(PMC)としての一面は、それ以外の全てに優先されると言っても過言ではない。 そもそもアブラクサス財団の発祥はキリスト教の異端である同名の結社に由来する。 アブラクサスとは紀元二世紀にアレクサンドリアのグノーシス派バジリデス教徒が崇めた至高神の名前である。鶏の頭と蛇身の脚を持ち、一年の三百六十五日を司る神でもあった。 そしてユングが神や悪魔すら超越すると記した存在でもある。 アブラクサス財団が近年忽然と出現し始めた遺跡――通称新遺跡群の発掘調査や監理を国連から委任されていたのは衆知の事実だが、そもそも新遺跡群の調査を提案したのが実はウォルター・ラザルスであったことを知る人間は限られている。同時期に出現は偶然のものと思えたアバドンと新遺跡群は、彼の言質によって関連性を明らかにされたようなものだった。 しかし、アブラクサスが独自にアバドン殲滅を果たすために国連に叛くことまではさしものラザルスにも読めなかった。 アブラクサス財団が国連に叛旗を翻したこと、着々とアバドン殲滅の成果を挙げていること、そして多くの政治的・非政治的組織が彼らに接近を試みていること――それらにただならぬ反応を示した組織が二つ、あった。 一つはかつての世界の盟主であったアメリカ合衆国。 一つはキリスト教の総本山であるヴァチカン。 その仲介をしたのが、やはりウォルター・ラザルスその人である。結局のところアメリカもヴァチカンも同じ穴のムジナである。だがそれ以上に二つの組織を結びつけたのは現状への不安であった。 世界的な未曾有の危機に有効な手段を採ることが出来ない不安、新たな武力と影響力を持つ組織への不安、混迷の世界の行く末に対する不安――それぞれ物理世界と精神世界に君臨していた者たちが手を結び、二つの世界の私生児として〈ゲニウス〉は産み落とされた。 「……こんなもんか」 ノートPCのキーボードを叩く手を止めた柊隆一郎は何度かワープロソフトの文面を斜め読みした後呟き、椅子に座ったまま伸びをした。窮屈に押し込められた背骨の節が心地よく弾けるような感覚。 一代を築いた人物の語りとは概ね聞き手に教訓として働く場合が多い。ウォルター・ラザルスの場合それだけでなく、ウィットやボキャブラリーに富み大変面白かった。ただ如何せん面白すぎた。本筋からの脱線、記憶違い、思想の偏向――そしてそれらに対する反証や訂正も遠慮なく一つの話にぶち込むために語り手も訊き手も飽きるということはないが、後々本筋を思い出すのに苦労する。事実隆一郎がラザルス本人から聞いた〈ゲニウス〉発足の経緯を思い出し、抽出し、編纂して文章化するのには結構な時間がかかった。 「……」 ふと思い出したようにインターネットに接続し、検索エンジンに単語を入力する。 『TOKYO ABADONN SOLDIAN』 一致するページは既に五桁に上っていた。妙な場所に入ると黒服のいかつい男たちとサウナに入る羽目になる、とオールド・ラザルスには言い含められていることだったから、大学や実家でPCをいじる時以上に慎重にページを探した。 無料動画共有サービスに入り込んだ。 サムネイルの一つ――二体の龍が対峙した一瞬を切り取った画像に眼が行った。それをクリックしようとした時、けたたましく備え付けの電話が隆一郎の心拍を掻き乱した。 〈ゲニウス〉の備品であるノートPCに内蔵された時計は午前六時を示している。隆一郎はげんなりしながら受話器を取った。 『リュウ、時間だよ』 「……目覚ましなら部屋にあるんですけどね、オリガさん」 『ジャックから聞いたところによると、ハイスクールで陸上をやっていたころはしょっちゅう早朝練習を休んでいたようだね?』 何で親父がそれを知っているのか。祖母にも朝練のことは全く言わなかったのに。 『まぁそういうことだから。くれぐれもサボろうとは思わないように』 一方的に通告するだけして電話は切れた。 実のところ、全く眠くはないのだ。 ラザルス邸に滞在して一週間になるが、睡眠時間はずっと五時間程度で安定していた。あまり眠れなくなった、というよりはあまり眠る必要がなくなったと言う方が正解だろう。八時間は必要だった睡眠時間はここ一週間で徐々に磨耗し、今では五時間ほどに短縮されていた。五時間で、少なくとも十九時間は眠気を欠片も覚えない。 〈ヴォルカドゥス〉に搭乗した頃から睡眠欲求は磨り減り続けていた。最終的には二、三日の徹夜では眠いとも思わなくなっているだろう、という予感がある。こうなった当人としては、受験期にこうなっていたかったな、というのが本音である。受験生だった頃の最大の敵は数学の勉強中に猛烈に襲い来る睡魔と、セクシーな美女たちの幻だった。 それだけではない。三日の間、〈ゲニウス〉との契約のために書類の記述を初めとする諸々の儀式を隆一郎は強いられていた。その中には体力測定も含まれていたが、隆一郎の運動能力は高校時代よりも全ての面において上を行っていた。 驚くべきことではない、とオールド・ラザルスは言った。ソルディアンは環境に合わせて自己を最適化し、機主の成長をも促すと言う。他のソルディアンの機主のデータからそれは判明しているらしい。 そんな隆一郎なのだが、朝練に行きたくないという心理が働くのは習い性なのだろうと思うしかない。 だからと言ってサボると後でどうなるか分かったものではないし、あと一ヶ月と半分で二十歳になる男としてはあまりに弱すぎる考えだろう。 「しかし……オリガさん」 「なんだい?」 隆一郎はパキスタン製のやや黄ばんだ胴着の奥襟を掴んだ、女にしては太すぎる指を何とか外そうともがいた。無論、それしきで外れる握力ではない。横幅なら隆一郎を上回る体格も、それ以上に腰に締めた黒帯も伊達ではないのだ。 「何で柔道なんですか?」 彼女は案外色っぽい厚めの唇に太い笑みを浮かべた。 「いい質問だ」 左足を支点にして隆一郎の懐へ抉り込むようにその背中を割り込ませた。瞬間、隆一郎の視界は縦に弧を描き、畳上のマットに長躯が叩き付けられる。ぐっ、と息が詰まる。受身はこの三日で何とかモノに出来たが、それでも投げられる衝撃にはまだ慣れることがない。 「立てるかい?」 差し出された手を取り、隆一郎は立ち上がる。つくづく男に生まれるべき人だったよな、と思いながら。 オリガ・ブラヴァトカヤは身長180センチ前後、体重は少なく見積もって90キロの女性である。胸部は大きいというよりは分厚く、雨宿りさえ出来そうだ。小麦色の髪を男のように短く刈り込み、顔立ちはいかついが女性らしい愛嬌がある。コールサインである『ネイルズ1』は柊隆一郎の遺伝子上の父親であるジャック・フェルトン直属の部下の証明で、彼女自身『ネイルズ1』と呼ばれることを誇りにしているようだ。 アーカンソーのラザルス邸は〈ゲニウス〉の傘下組織であるアトランテック社の私有地でもある。想像を絶するほどに広大なそこは基地の役割も備わっているらしく、常時百名のスタッフが職務に精励し、あるいは寝食を共にしている。柔道場はそんなスタッフたちのストレスを解消するための施設の一つだった。 「さっきの質問だけど、あんたはオリジナル・ソルディアンの乗り手だね?」 「はい」 「では、あんたは何故ソルディアンが人の形をしていると思う?」 一瞬言葉に詰まりながら、隆一郎は答えた。 「それは――人の扱うものだから?」 構造上、兵器が人体を模倣するなどというのはナンセンスの極地であることは隆一郎も知っている。速く疾走するには空気抵抗を受け過ぎ、剛性を高めるには構造が複雑過ぎる。そんなものを敢えて兵器として運用するとなれば運用するに足る理由が存在する、と考えるのが当然で、それを造ったのが古代の超文明だとすれば「人間が扱うものだから人の形をしている」という結果は如何にも真っ当な理由と思えた。 オルガはうなずいた。 「そう。学者先生の話では理由はそれだけではないらしいけど、そんなものだね。どこかの誰かの受け売りだけれど、ソルディアンは鍛え抜かれた肉体の更なる延長だ。自分の身体で出来ること、出来ないことを知っておいて損はないはずだよ」 「そして実務的な理由としては」 道場に張りのある老人の声が響いた。 「柔道は技術が系統立っていて、教えるにも教わるにも都合がいいということ。そして身体バランスの訓練にはうってつけな格闘技だということ。どうだね、納得したかい?」 まっさらな柔道着に黒帯を締めた姿のウォルター・ラザルスがそこにいた。黒眼鏡の代わりであろう眼帯を除けば、意外にもその立ち姿には堂に入ったものがある。 「柔道、やるんですか?」 言ってすぐに隆一郎は間抜けな問いを発したことに気づいた。この装束で柔道をしない訳がないのだ。 「やるよ。頭脳労働しかやらないと、身体の方をたまらなく動かしたくなる。オリガ、彼を借りてもいいかい?」 「ご随意に」 結果だけ述べれば、隆一郎はオールド・ラザルスからも好き勝手に投げられた。 「オリガ、『山嵐』ってこうだったね?」 「お美事です、御大」 「はっはっは、それっ」 「ぎゃんッ」 「次は『俵返』」 「ドワオッ」 「そして『河津掛』」 「ぎゃあああッ」 「……御大、それ禁止技です」 こうして隆一郎の身体が立つことを本格的に拒絶したのは一時間を経過してからだった。酸素を貪りながら畳の上で大の字になった隆一郎は、胴着が汗で重くなるという感触を初めて知った。 「どうだね、リュウ。立てるかね」 オールド・ラザルスは呆れたことにまだ隆一郎を技の実験台に使うつもりらしかった。流石に汗みずくではあるが、一時間も組み手をやっていながら、そこまでの体力を残しているのは並ではない。その年齢を考えればまさしく超人的と言えよう。 「……そろそろ嫌になって来ました」 ほう、とオールド・ラザルスは笑った。笑うという行為は本来獣が牙を剥く行為が原点であるという豆知識が隆一郎の脳裏をかすめた。 「ということは、気力を振り絞れば立てるということかね?」 このじいさんは、と隆一郎は思った。ひょっとして、骨が折れるまで投げ続ける気か? 隆一郎はオリガの方を見たが、オリガはオリガで眼で告げて来た。もう少しの辛抱だ、と。 「何だねもう参ったのかね。近頃の若い者と来たら――」 「オールド・ラザルス、そこまで」 呆れたような男の声に、ラザルスは露骨にぎくりとした。 「やぁジャック。一時間ぶりだね」 グレーのサマースーツ姿のジャック・フェルトンである。その背後、道場の戸口にはマゼンタのツーピーススカートを着た金髪の少女がいる。クローディア・クロムウェルだ。 「会議からいつの間にやらいなくなったと思ったら……」 「いつものことじゃないか。どうせ政治がらみの事例だろう」 「ええそうです。あなたが決済してくれなければ話が進まない事項が四つね」 「私は判子を押す機械かね?」 「会議や決済はともかく、面会の時間まで五分しかありません。その後はコンテナの最終点検に立ち会っていただかねば――」 「五分でシャワーを浴びて着替えるのは無理があるぞ、ジャック」 「オリガ、やれ」 「了解(Aye,Sir)」 痺れを切らしたジャックが顎でしゃくった時には、いつの間にか組み手練習用のゴムチューブを持ったオリガがオールド・ラザルスの後ろに立っていた。見事な手際で簀巻きにし、そのままジャックに手渡す。 「君たち、私を誰だと思ってるんだ?」 「もちろん理解していますとも。ストレス解消は事務が終わったらにしていただきたい。その後は我が倅を煮るなり焼くなり好きになさってください」 「それじゃリュウ、オリガ、今日はこのあたりにしておくとするよ」 護送される囚人のように道場から連れ出されるラザルスを横目に、隆一郎はもう乾いた笑いしか出なかった。 立ち上がろうとすると、上体を起こした次の瞬間、激しい脱力感を自覚して再度背中を畳に付けてしまう。 「情けねえ……」 自然に自虐の声が出る。ソルディアンの影響で体力も増強されているというが、少なくとも持久力の面では実感出来ない。 すると、クローディアが近寄ってきた。隆一郎の眼は何とはなしにその一連の動作を見つめている。彼女は隆一郎の傍らにしゃがみこむと、だらしなく広がった掌に四本の指を延べて、触れた。 「あ……あ?」 するとどうだろう、打ち身の痛みも関節のだるさも、潮のように引いてゆくのが分かった。まだ少しは残っているが、最前と比べれば雲泥の差だ。軽くなった関節を曲げ伸ばしつつ身を起こすと、 「君が……やったのか?」 隆一郎はクローディアの顔を至近距離で見つめることになる。一瞬だけ眼が合う。吸い込まれるようなマリンブルーの瞳。 それを拒むようにクローディアは顔をそむけ、そそくさと道場を出て行った。 入れ替わるようにオリガが隆一郎の傍らにしゃがみこんだ。 「癒しの力……クローディアの力さ。オリジナル・ソルディアンの機主としての、ね」 「クローディアも……か」 すんなり納得している自分がいる。 「いつもなら効果はかなり限定的だし本当ならあの娘も疲れるはずなんだけど――相性がいいのかもね」 「オリジナル・ソルディアンの機主だから治癒能力も向上している訳で、その上にクローディアの力も相乗されたんでしょうよ」 にんまりと意味ありげに笑うオルガに取り合うことなく、隆一郎は私見をスマートに述べた。一瞬だけオルガは面白くなさそうに唇を曲げたが、真顔になって「あと、ラザルスの御大だけど」と続けた。 「あんたも知ってるだろう、大変な立場にいる人なんだ。ストレスだって尋常なものじゃない。恨まないであげてよ。あの人の場合いい歳をして子供じみたところもあるからね」 「あ、はい、それは分かります」 オルガは満面に笑みを浮かべて、言った。 「じゃああと二時間、頑張ろうか」 「えっ」 隆一郎が畳に叩き付けられたり関節を締め付けられたりする作業からようやく解放されたのは、正午近くになってからのことだった。正座を組んで瞑想しながら、武道家という生き物のサディズムとマゾヒズムについて一本論文を書けそうな気がした。 「では、礼」 「ありがとうございましたッ」 上座へ対面になって座るオリガと平伏礼を交換する。 「それじゃあ解散。明日明後日は土日だから休みだよ」 ぬるま湯のシャワーを浴びて汗を流し、食堂へ向かう。昼時の時間帯もあって食堂はそこそこ混み始めていたが、そこでジャックと鉢合わせになった。 「どうだ、調子は」 「うん、まあまあ」 親子は互いに持っているトレイの中身を確認した。寸分たがわぬAセットランチ。二人とも、一瞬黙り込んだ。 「同じだな」 「同じだね」 会話は続かない。向かい合わせで座り、黙々と二人は食事をする。 「ここのメシ、美味いね」 「そうだな、量も十分だ」 やはり会話は途切れてしまう。 日頃の没交渉が祟ったか、とは二人とも考えたが、二十歳になる息子と五十路に手が届く父親の日常会話などそもそも弾みようがないのだと気付いた。 二人とも、同時に食べ終わった。 「リュウ、お前に見せたいものがある。付き合え」 「いいけど?」 ジャックについて外へ出る。邸宅という以上に基地としての様相を呈した広大な土地は、ともすれば迷子になりがちである。父の軍人らしいたくましい背中を確かめながら進んでゆくと、裏門に行き当たる。大型車両が日常的に往来するそこは格納庫まで続いており、今も数台の大型トレーラーが入ってくるところだった。親子は声を張り上げて指示をしているメル・ファン・ヒューレンを発見した。 メルも二人の姿を認め、170センチ前後の背筋を正してジャックに向き直り、敬礼。ジャックも敬礼を返す。 「本日一二三七、頭部パーツの搬入を確認しました。これにて命令の全行程の完了を報告します」 「ご苦労だった」 「頭部パーツ?」 隆一郎が話に割り込む。 「メル、こいつに見せてやりたいんだが、いいかな?」 「ええ、よろしいですよ」 いざなわれた格納庫の中では整備服の面々が喧しく指示を飛ばし、あるいは走り回っていた。それらをかわしながらエレベーターに乗り込み、向かった先は地下だった。そこにはまだ組み上がっていないソルディアンが存在した。 「〈ティンダロス〉……じゃないな」 隆一郎がそう思ったのも無理はない。頭部には耳状のクラビカルアンテナがあり鼻面は出ていたものの、〈ティンダロス〉よりは一目で分かる程度には低い。装甲のシルエットも直線的でなんとなく兵器然とした〈ティンダロス〉と比較し、流線が多用されている。〈ティンダロス〉と似ているが、一目で違うものと分かるデザインなのだ。 「〈ティンダロス〉は犬だから、こっちは猫かな」 「〈ウルタール〉ですわ、ミスタ・ヒイラギ・リュウイチロウ」 声の方向へ頭をめぐらせると、赤みがかった金髪をアップにまとめた女性がいた。 「初めまして、あなたの話は伺っています。アトランテック社兵器開発部主任のグレッチェン・アルトマンです」 彼女が差し伸べた手を隆一郎はなんとなく握る。隆一郎が口を開く前に、ジャックが問うた。 「博士、こいつは組み上げてすぐに起動出来るかね?」 「組立完了後五分で出来ますわ、ミスタ・フェルトン。何ならご自分でお確かめになりますか?」 「私は結構。ネイルズ・ナンバーに昇順を優先して回すように言ってある」 「乗らないのか?」 隆一郎が問う。ジャックが返す。 「意外に偉いんだぞ、私は」 そう軽々しく動ける立場ではないということだろうと隆一郎は解釈した。ジャックの海兵隊退役後の階級は上級軍曹ということだが、少なくとも〈ゲニウス〉では下級将校に留まらない扱いを受けていることは察していた。あるいは佐官程度の職責はあるのかも知れない。 「それに、〈ティンダロス〉の方が扱い慣れている」 要するに機種変換が面倒臭いんじゃないか――と隆一郎が言おうとしかけると、ジャックの携帯端末がメールの着信を知らせる。メールの文面を確認して一言、 「リュウ、出撃が決定したようだぞ」 父の物言いはいつも直截的である。 どこまでも蒼い空を反映して、その機体は青い。 実際その装甲は鏡面保護(ミラーコート)が施されていた。のみならずその他幾重にも渡るジャミングがレーダーを欺瞞する。そこまでしなければ欺瞞出来ない。何故ならばその機体は目立ちすぎていた――蝙蝠の翼を持つ人型の戦闘機など、目立たない理由がない。 〈ナイト・ゴーント〉の四機編隊が飛んでいた。〈ナイト・ゴーント〉は飛行能力に特化したソルディアンであり、その最高速度はマッハ20。無論最高速度に到達するより早くオペレータが身体機能に異常を来たすし、その半分でも機体にかかる負荷は生半可なものではない。そもそもそこまでの速度は必要とはされていないのが現実だった。大抵の場合、それは〈ナイト・ゴーント〉や〈ティンダロス〉の出る幕ではなくなっている。 だが―― 「どうやらスペック通りの能力を発揮出来る機会に恵まれそうだぞ、諸君」 『隊長、余程の大物ですか』 「ああ、俺は今聖ジョージの気分だ――ドラゴンと対峙せんとする気分だ」 『武者震いがする喃!』 『タケシ、そりゃ風邪でも引いたんじゃないのか?』 『全裸で寝る癖やめろよタケシ……』 部下のやり取りを聴きながら、隊長はアラームが鳴るのを聴いた。視線を巡らせると、10時の方向に〈ナイト・ゴーント〉の編隊を発見した。ただし、一つや二つではない。 『10個編隊はいませんか……?』 『……こんなに集まったところなんて見たことねえや』 「俺もだ」 部下たちのうめきに対して隊長は静かに肯う。 ソルディアンは希少にして貴重な兵器ながら、アバドンの駆逐を目的として生まれた存在である。特に〈ナイト・ゴーント〉は機体の性質上一撃離脱が求められ、故に最大の長所たる機動力を殺すように大々的な編隊を組むのは前例のないことだった。 「だが、相手はドラゴンだ。――ドラゴンに匹敵する相手だ」 『隊長、それってもしかして』 「それ以上は思っても口に出すなよ。アンダマン条約に引っかかるからな」 隊長は冗談めかして言ったが、部下は誰も応えなかった。 「これはドラゴン退治だ。ドラゴンを退治して列聖されたいなら、各自力の及ぶ限り奮起せよ」 かくて四十機の〈ナイト・ゴーント〉は空をゆく。 南太平洋に浮かぶ名も無きその島には妖気が満ちていた。繁茂する木々は精細を欠き、虫や鳥の姿も見ない。 この島を航空写真で見れば、原因は容易に分かった。 島中央部にかかる分厚い雲――それが雲や霧などという生易しいものでないことは柊隆一郎ですら一目で看破出来た。雲霞の如きアバドンの群れがこの島の中央部に巣食い、生体エネルギーを吸い尽くしているのだ。 アバドンの生態は不明な点が多い。眼球状の心臓部は核反応炉に匹敵するほどの莫大なエネルギーを生み出すと推定されており、意外なことに単なる捕食のために生物を襲うアバドンは今のところ確認されていない。 『〈ギベリオス〉の時もそうだったけど、こいつら何で根付いてるんだろうな?』 隆一郎の問いにジャックが返した。 『その確たる答えを得るには、まず実例の数が絶対的に不足している。それに我らの目的はアバドンの研究ではなく駆逐だ。そんなものはアブラクサスのラボに任せておけばいい』 オリジナル・ソルディアンの頭部コクピット、通称『機主の座』に就いた隆一郎は、バトルドレスと呼ばれる戦闘服を着ている。着心地は恐ろしく良く、裸同然に動き回ることも可能で、体温調節機能(これは ヴォルカドゥス に乗っているうちは不要だが)つきで、無数のポケットには食い続ければ確実に糖尿が出るような高カロリーレーション食を始めとしたミリタリーキットが入っており、 更には生身での白兵戦のために防弾防刃繊維製で、尚且つ量産型ソルディアンと同じ人工筋肉を使用し、ちょっとしたパワードスーツとしての役割も果たすという代物だ。 具体的な価格は教えてもらえなかったが、原価で計算しても安いなどとは口が裂けても言えないだろうことは理解出来る。 指先を動かして着慣れぬ装束の感覚を馴染ませながら、隆一郎は唇を舐めた。 「さて……行くかい、〈ヴォルカドゥス〉」 その声に感応して ヴォルカドゥス が降下する。轟然と、猛然と。 雲霞のように羽虫の如きアバドンが ヴォルカドゥス を包む。 距離が縮まる。 しかし、羽虫に頓着しない。隆一郎は轟然たる意思を持って降下する。 距離が縮まる。 島の中央部――アバドン・ヘッドへのみ意思は向けられている。 距離が縮まる。 隆一郎は ヴォルカドゥス の姿勢を変える。 距離が縮まる。 隆一郎は項のテイル・ハーケンを伸ばす。 距離が縮まる。 隆一郎は ヴォルカドゥス の足裏に全質量を向けるような姿勢を採らせる。その足裏にはテイル・ハーケン――質量と速度で一気にアバドン・ヘッドをぶち抜く姿勢。 距離が縮まる。 ヴォルカドゥス が降下速度を増す。 距離がゼロになる。 「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああァァァァァァッ!!!!」 絶叫と共にインパクト。 空気が爆ぜる感触――空間歪曲障壁が割れる感覚――少し遅れて騒音。 丸い甲殻に三爪鉤が突き立つ。いける――隆一郎は考えた。 瞬間、覆される。甲殻が身をよじるように動く。三爪鉤の突き立つ角度がずれる。 猛然と回転するドリルはその回転数故に弾かれると、丸い甲殻に添いながら地面に突き刺さった。 孤島に響く轟音並びに震動。 危険。その二字が脳裏に浮かぶ時にはもう遅い。振り上げられた柱の如き腕が ヴォルカドゥス を弾く。 木々を数百本諸共に薙ぎ倒しながら、 ヴォルカドゥス は地に伏す。地に伏しながら、隆一郎は姿勢を立て直す。 巨大な熊とでも言おうか。二足にて大地を踏みしめる全長50mの巨獣が目の前にいた。熊と異なるのはその皮膚が隈なく甲羅で覆われていること――なかんずく、背部の甲殻の強度は先刻隆一郎と ヴォルカドゥス が証明した通り。 アバドン・ヘッド〈キディラー〉。 「ゼオ・ソードッ!!」 睨み合う間すらもどかしく、隆一郎は咆吼する。 ヴォルカドゥス の腕部装甲が変形し、剣としての性質を帯びる。 疾走、斬撃――空間湾曲すら貫き、切先はキディラーの腹部を抉った。浅い。急所には届いていない。 キディラー が腕――あるいは前脚――を揮った。即座に隆一郎も ディフ・シルド を展開。しかし浮く。飛ばされる。100m以上吹っ飛ばされてようやく地に足が着く。何という膂力。 キディラー がその身を丸めてゆく。 ほぼ完全な球体になった キディラー ――その甲羅は金属光沢が鈍く煌いている。 嫌な予感。 そして転がり出す。 「『まるくなる』『ころがる』のコンボかよ! しかも一ターンで! しかも最初からフルスロットル!」 例の世界的大ベストセラーゲームのプレイヤーでもある隆一郎は焦った。 いやそんなことはどうでもいい。速度はともかく、回転数が異常だ。 というかあの質量で転がるだけでも相当な質量兵器だろうに、そこに超回転が加わって最強に見える。 ディフ・シルド でも防げないだろう。あれも心臓部が生む特殊能力だろうか? ということで、受け止めるのはやめてその力を利用することにした。 極度の緊張。鉄球と化した キディラー が直撃するその一瞬だけ早く、身をかわす。 言うだけなら簡単である。実行に移すのは至難だ。だがやらねばならない。 そのための自信も隆一郎には備わっている。 重突撃――見切る―― ディフ・シルド を展開した掌で流す――そのまま キディラー は明後日の方向――海に落ちる。 形態を解除し、立ち上がる キディラー 。海が苦手なのか? 何にせよ、千載一遇の好機を逃す手はない。可能な限りの速度で ヴォルカドゥス を接近させる。 キディラー が腕を揮う。 ヴォルカドゥス はそれを掻い潜って、距離を詰める。 ゼオ・ソード が キディラー の腹部――弱点たる心臓部の埋まった箇所――を抉る。深々と貫く。 キディラー の絶叫――ソルディアンに乗ってさえ精神に異常を来たしかねない怨嗟の咆吼。隆一郎は刃をねじり、腹を引き裂くようにして抜く。噴き出す体液。 距離を置く。そして満腔の声で口頭指示(コマンド)。 「ヴォル・ファイア! ヴォル・ファイア!! ヴォル・ファイア!!!」 ヴォルカドゥス の龍頭の口腔が開き、三連続で空間がプラズマ焼灼された。 仮借ない熱の暴圧には、物理現象を捻じ曲げでもしない限りは耐えられるものではない。その術を失った キディラー は、荒れ狂う分子運動の前に跡形もなく燃え尽きた。 「〈ベアー〉完全沈黙。目標は海岸に立ち尽くしています」 「疲弊はしているようだな。よろしい。これより作戦コード〈ゲオルギオ〉の第二段階に入る」 その潜水艦は例えるならば槍の穂先に似ていた。柄の生えるべき箇所にはコーン型のエンジンが突出している。さながら海中を切り裂く、全長100mの幅広で扁平な牛舌状の槍(オクスタン)。 ソルディアン〈ティンダロス〉が衆目に初めて晒された時、これをどう運用すべきか考えなかった軍事関係者は恐らく一人もいなかったはずだ。全長20mの巨人を、必要数、可及的速やかに、如何にして目的地に送り届けるか――その問題は〈ティンダロス〉からやや遅れて世に出た〈ビヤーキー〉によって解決された。蜂に似たこの輸送機はその見てくれよりもずっと力持ちであり、二機一組の〈ビヤーキー〉は最大8機の〈ティンダロス〉が詰められた兵員輸送コンテナを地球の裏側まで輸送可能である。 しかしそれだけでは満足しない人間は極少数ながら存在した。 〈ビヤーキー〉による空輸は速度と員数を満足させるが、余りにも堂々としすぎていた。敵勢力に発見された際、 ビヤーキー にも機銃の装備スペースはあるものの所詮は戦車トランスポーターの派生でしかなく、防備としては心もとない。さしもの ティンダロス もコンテナの中に押し込められている限りその戦闘力が発揮出来ないのは言うまでもないことだろう。 そのために空戦ソルディアンである〈ナイト・ゴーント〉が生まれ、空爆ソルディアンである〈シャンタックス〉が生まれた。 だがそれでも彼らは満足しなかった。 如何に隠密裏にソルディアンを輸送するか―― 情報はいつの時代も戦の要である。知覚されない戦力はそれだけで価値があるのだ。特に人との戦闘においては――尤もそれを必要とする組織は限られている。ソルディアンによる特殊部隊を編成するような必要もないし、資金も限られたし、何よりアンダマン条約への配慮という建前が邪魔をした。 そんなものを必要とし、尚且つ実際に運用できる組織など――地球上には一つきりしかない。 かくしてアブラクサス財団はマーシュ級潜水輸送艦を完成させた。 マーシュ級の艦体が半ばから横に割れ、スライドし、全長を増した。 スライドした部位の内部はくびれており、30m近い、細長い六角柱状のポッドを一隻につき六基巻きつけている。 強襲揚陸用ポッド、通称 蕾の殻 (ブットシェル)。 ポッドが切り離され、魚雷のように尻から泡を大量に噴き出して目的地へ走る。ある程度の深度で外殻が剥離すると、犬頭の人型兵器―― ティンダロス の姿が現れた。 孤島に集結しつつある脅威を、柊隆一郎はまだ知らない。 雲が切れるように、灰色だった空間に太陽の光が満ちてゆく。疲弊と爽快さがない混ぜになった感覚が隆一郎を支配していた。 「柊隆一郎、目標クリア。これより帰還する――」 青空に目をやる。一叢の雲が流れている。気温は高く、季節は夏。泳ぐにはいい日だろう――隆一郎が視界の隅に何らかの影を認識したのも束の間。 ヴォルカドゥス の周辺1kmに降り注ぐ槍――対アバドン用高空爆弾。その実は縮小したバンカーバスター。鉄鋼弾頭が質量の八割を占めるこの爆発する「槍」の雨には ディフ・シルド は飽和し、打ち破られ、 ヴォルカドゥス はその穂先に晒されることになった。 永劫にも思える数十秒が終わる。隆一郎は ヴォルカドゥス に突き刺さったままの弾頭を引き抜きにかかった。その都度青い血液状流体が溢れ、しとどに ヴォルカドゥス を濡らす。 「ぐぅぅ……ッ」 最後の一本を抜いた時、それを見計らったように、砲弾が山形の弧を描いて、ヴォルカドゥスに浴びせ掛けられた。 高速徹甲弾、徹甲榴弾、徹甲焼夷弾、成形炸薬弾、多目的対戦車榴弾、粘着榴弾、APFSDS弾、ありとあらゆる弾丸弾頭弾薬が狂ったように蕩尽された。 そしてそれらは全て ヴォルカドゥス に向かってぶち撒けられた。 弾丸がソルディアンの堅牢無比なる装甲を削る。削ってゆく。弾丸の嵐に晒される隆一郎には何が起きているか分からない。ただ、とてつもない悪意に晒されていることは理解する。純然たる人の悪意を。 人の悪意――ソルディアンとなった者に向けてそんなものを投げつけることを出来るのはソルディアンしかいない。 そしてその必要十分条件を備えるものは地上に一つ――即ち、アブラクサス財団。 隆一郎は ヴォルカドゥス を空中に舞わせた。螺旋を描くように旋廻軌道を描きつつ、能う限りの速度で上昇する。 アブラクサスはくそったれだが、隆一郎には彼らと闘う気もなく、またその理由もない。例え相手がそれを望んでいようとも、だ。この場合逃げるが勝ちだ。 しかし人の悪意は柊隆一郎の思惑など、当然計算に入れて謀っている。 陽光を背に降下する陰――鋭利極まる斬撃―― ヴォルカドゥス の左肩部装甲の切断。 視力が強化された隆一郎の視力でさえ明確ではない一連の挙動。 「何者だ……!?」 隆一郎はまさか自分が発することになろうとは思わなかったその台詞を口にした。 誰何に応えたのか、そいつは ヴォルカドゥス と同じ視線の高さにまで上昇して来た。 それは ティンダロス だ。 ティンダロス に飛行機能を付与し、その突撃性能を強化するためのアサルトモジュールが背部に装着されている。 いや――隆一郎は一瞬だけそれを ティンダロス と認識出来なかった。 何故ならそいつの四肢は通常の ティンダロス よりも逞しく肥大していた。何よりその手に握られた剣が異様だった。美術品としても一級品と思える見事な造作の、黒く見えるほどに赤い、長大な深紅の剣。 あれは危険だ。隆一郎は突如として浮かんだその考えを疑わなかった。 『この機体は〈バスカヴィル〉――この剣は〈コルヴァズ〉の魔剣』 低く、まるで地の底から響くような声――疑う余地なく目の前の ティンダロス からの通信。 『そして俺はヴィガス。火龍よ、その命、貰い受ける』 その宣告に先んじて、隆一郎の、半球状のアームレイカーを握った指が滑らかに動いた。ピアニストを思わせる精密かつ滑らかな動きに驚いたのは他でもない隆一郎当人である。数日この ヴォルカドゥス から離れていたが、以前より少しではあるが確実に、一体感が増しているように感じた。 アームレイカーとソルディアンの操縦がどのようにリンクしているか隆一郎には計り知れないところがあるが、思い通りにやってくれるという確信は存在していた。項のテイル・ハーケンが ヴォルカドゥス の身の丈より9割ほど長く伸び、尖端の三爪鉤がミキサーの刃のように回転して、 ティンダロス を撃ち砕かんと薙ぎ払う。 重厚な金属音。 それは バスカヴィル の魔剣がテイル・ハーケンを弾き返した結果だ。空間歪曲障壁ごとアバドンを貫く金属の爪牙を、たった一振りの剣が弾いたのだ。 距離が埋まる。 ――ならばこちらからも距離を埋めるまでだ。 瞬時に隆一郎は判断し実行した。距離を無にすればあの段平を揮おうにも揮えまい。加えて、オリジナル・ソルディアンと量産型との馬力と質量の差は天地ほどもある。 ティンダロス がいくら強化されようともベースは ティンダロス でしかない。 バスカヴィル の胸部を砕かんと ヴォルカドゥス の右拳が握られる。もはやかわせる距離ではない―― しかし隆一郎はかわす以外の対処を知らず、ヴィガスは知っていた。 右の拳が胸部に触れる寸前に、威力は減殺されていた。 隆一郎はヴォルカドゥスの拳が失われていることを知った。 切断された――それを驚愕する暇もなかった。 ヴォルカドゥス を衝撃が襲う。 バスカヴィル の蹴りが見舞われたのだ。 距離が開いた。 魔剣が揮われる。恐ろしく速く鋭く精確な剣撃だ。隆一郎はかわせないと判断した。 「ディフ・シルドッ!」 強く――いつもより強く――更に強く――思念は不可視の盾を強固にする。 ヴォルカドゥス の機主になった当初より、自分の思念が強化されているのは事実だ。容易くは破れまい―― 不可視の盾は呆気なく切断された。 「な――」 一瞬、脳裏が真っ白になる。しかし事態はそれを許さない。振り下ろされる深紅の刃をすんででかわす。 ――こいつは危険だ、 ヴォルカドゥス を持ってしても! 隆一郎は距離を開くために退避する。 人の悪意はそれを許さない。 ミサイルが ヴォルカドゥス に直撃した。さしたるダメージではないが、無論これも見逃せることではない。隆一郎は周囲に視線を巡らせた。 ヴォルカドゥス と バスカヴィル を囲繞する〈ナイト・ゴーント〉――戦闘機より速く飛行する無貌の翼人。 その更に上空には〈シャンタックス〉――ペイロード限界までに弾薬を積載してなお音速を超えることが出来る重爆撃機。 海上には〈ガグ〉――丸いずんぐりとした胴体に空間圧縮砲を兼ねた大型マニピュレイターを備える海中移動砲台。 孤島に終結しているのは〈ティンダロス〉――説明不要の機械仕掛けの猟犬。 その数、ざっと1000機。師団規模のソルディアンがこの大して広くもない領域に集結していた。これほどの規模のソルディアンが投入されるのは、大規模作戦でもあまり類を見ない。 なるほど、と隆一郎は思う。オリジナル・ソルディアン一体の価値は、1000機もの量産型ソルディアン全てと引き換えてもなお釣り銭が返ってくるに違いなかった。 隆一郎は左手の指で耳の後ろに触れた。そこには作戦前に透明なシールが貼られていた。骨伝導式無線シール。事前の説明通り二回指先で軽く叩くと、無線のスイッチがONになる。 『こちらネイルズ2。ラスタバン、状況を。OVER(どうぞ)』 ネイルズ2はラウラ・オルツィの、そしてラスタバンは隆一郎のコールサイン。 「アブラクサス超ヤバい。あいつら頭おかしい」 『言いたいことは分かるわ』 「あいつらオリジナルと量産型の戦力比が1対500だからって1000機も出してきやがった! おい姉ちゃん、責任者はどこだ?」 『案外柄は悪いのね、ラスタバン。――ネイルズ・リーダーならボスに援軍投入の打診中よ』 「親父に似たのかもな。――指揮官なら前以ってこういう状況にならないようにしておくべきだろ、常識的に考えて」 『メルには言えないわね。――ごめんなさいね。わたしたちに油断があったことは認めるわ。アブラクサスが甘くないことは知っていたけれど、こうも反応が早いとは思わなかった』 「え、何、どういうこと? ――敵が〈バスカヴィル〉って名乗ったんだが、覚えは?」 『メルの片思いよ。――コードネーム『ブラックドッグ』。アバドン・ヘッドを単体で倒した唯一の量産型ソルディアンよ』 「親父にかよ。――奴の剣の加護か?」 『そ、くれぐれも内密にね。--―魔剣〈コルヴァズ〉はそれだけでオリジナル・ソルディアンと同等の価値のある古代遺物(アーティファクト)よ。 バスカヴィル の四肢の肥大も〈コルヴァズ〉に影響されてのことと推定されているわ』 あの剣、やはり只物ではなかったのだ。――いやしかし、それほどの剣をアブラクサスがほいほいと使わせるはずはあるまい。 「ヴィガスという男は?」 『謎。世界各地の傭兵にもそんな名前を使っている者はなし。曰く、アリオスト・ヘーゲルの隠し子だとか、ロボットとか改造人間とか、そんな噂も聞こえてるわ』 「要するに何も分かっていないのと同じか!」 『ただ、その能力はかなりのものよ。機体や剣を預けられたのも、彼の力があってのことでしょうね。……ちょっと待って』 一旦通話が途切れる。 ややあって、大分シリアスなラウラの声。 『――ちょっとまずいことになったわ、リュウ。落ち着いて聞いて』 今の自分の状況以上にまずい事態って一体何だ、と思いつつ、隆一郎は耳を傾けた。 『援軍は、出せない』 「へ」 『島を丸ごとアブラクサス財団が買い取ったの。今は軍事演習中で、そこで何があったとしても一切関知しない――ですって』 「なん……だと……?」 語彙の少ない漫画家が描く作品の登場人物みたいな間抜けな声が出てしまう。「言葉を失う」というのは、まさにこういうことなのかも知れない。 『こういう手で来られるとはね。経済面で攻められるとお手上げだわ。相手は何しろ超巨大複合企業(ギガ・コングロマリット)、世界一の大金持ち。誰も手は出せないわ』 「アンダマン条約は? ソルディアンは人間同士の戦闘に使っちゃいけないんだろ?」 『彼らがやってるのは飽くまでも軍事演習よ。そこで何があっても、脚を踏み入れた奴が悪い、と言い張るでしょうね』 隆一郎は失った言葉の所在を探した。誰に罵声を浴びせるべきか分からなかった。ラウラ・オルツィ? ジャック・フェルトン? ウォルター・ラザルス? アブラクサス財団? 運命? 『一応その島には珍しい植物分布の可能性があって、その線から環境保護団体を通じて抗議してみるつもりらしいけど……あんまりアテにしないで』 「つまるところ、手詰まりか」 隆一郎の喉から、ふふん、と声が漏れる。 『……笑ってるの?』 「いや、笑うしかない、というか」 実際笑うしかなかった。包囲殲滅陣形の只中にあって援軍も頼りに出来ない、というのは、笑い事では済まされない。 だからこそ笑って済ませてしまいたかった、といおうか。 「――強行突破を図る」 それしか術は思い浮かばなかった。テープを指先で叩いて通信を切る。 「行くぞ、 ヴォルカドゥス !」 この時ばかりは、隆一郎はその機械が人を乗せているという事実を忘れることにした。 『僕ですよ』 『お掛けになった電話番号は現在使用されておりません』 『そっちの状況は、ベラトリクス?』 『多分あんたと似たようなもんだわ、アルファルド』 『モテる人間は辛いですね、お互い』 『あんた、今空港?』 『ええ、公衆電話から掛けてますけど、視線をちらりほらりと感じます。人が多いので迂闊な手出しをしかねているようですが』 『あんたの地元、まだ治安がいい方で羨ましいわね』 『君の背後で銃声がしてません?』 『地元の幇会(マフィア)が空港前の橋のあたりでドンパチ始めてくれやがったのよ。普通ならわざわざこんな目立つところでやらんでしょうから、大方アブラクサスの息がかかってるんでしょうけど』 沈黙。 『そろそろ嫌になって来ませんか』 『あら奇遇ね。あたしもそう思ってたところよ』 『新人も随分苦戦を強いられているようですしね』 『新人の面倒を見るのは先輩の仕事よね』 『では、また』 『また、南太平洋でね』 ハンガリー、フェリヘジ空港。 エトヴェシュ・イシュトヴァーン――ヴァイク・エトヴェシュはエントランスから外へ出た。まとわりつく視線を振り切りつつ、外に出る。 そして口訣を紡ぐ。 我は抜き放つ錆びし千の刃 我は斬り誅す万の悪鬼羅刹 虚無を寿ぎ星辰を衣と為し 屍を累ねて百獣の喰とせん 「狩り立てよ、阿修羅の如く――〈イオディスカル〉!」 香港国際空港。 黎莎莉(リー・シャーリー)――シャーロット・リーはタクシーから混雑する道路へ降りた。銃撃の激しい音の只中に、呆然とする無能な警官隊を無視して立ち入る。 そして口訣を紡ぐ。 雷霆は曇天を極彩に染め 星屑墜ちて奈落は震える 刮目せよ未曾有なる倣岸 今壮絶の大地を解放せん 「乾坤に轟き響け――〈エイヒューンド〉!」 ――全機、構え。 そんな声が聞こえそうなほど、 ナイト・ゴーント 隊は整然と銃口を ヴォルカドゥス に向けた。 ティンダロス 用のものと同型のリニアマシンガンだ。 つまり、威力は十分。 ナイト・ゴーント はのっぺりとしたスモークグラスの仮面に仕込んだ威嚇発光素子のパターンを閃かせ、突撃を開始する。 隆一郎は多少の被弾を覚悟して肉迫。右腕の剣を揮う。一機の ナイト・ゴーント を袈裟懸けに斬る。そのコクピットたる頭部が存在する部位を別の機体が運んでゆく。 項から尾が伸び、薙ぎ払う。回転する尖端が三機を砕く。 「ヴォル・ファランクス!」 掌から迸る火球――編隊飛行していた三機が犠牲になったのみ。 ナイト・ゴーント が馳せ違いながら、リニアガンを撃ち、 ヴォルカドゥス の装甲を削ってゆく。隆一郎は刃を揮うが、しかし切先は届かない。 読まれている――銃弾をかわしながら、隆一郎は思う。 どうやらアブラクサス財団のオペレータたちは、余程こちらの戦闘能力を研究した上でこの作戦に臨んでいるらしい。――そりゃそうだ。下手したら、死ぬし。 ――じゃあ、俺の生死はどうなんだ? この作戦に、 ヴォルカドゥス の機主の生命は視野に含まれているのか、いないのか。分からないことは存在しないことと同義だと偉い人も言ってた気がするので、あまり考えないことにする。いずれにせよ、心楽しいことにはなりそうにもない。 その時、深紅の刃が。 横薙ぎの一閃を辛うじてかわす――いや、かわせていない。 ヴォルカドゥス の首筋から蒼い『血液』がしぶいた。すれ違いざまに ヴォルカドゥス の三爪鉤を繰り出したが、平然とすり抜けて バスカヴィル は陣形に戻った。 隆一郎は ヴォルカドゥス の兜角を上げ、少しでも行動の制約を広げようとする。 が。 ヴォルカドゥス の移動位置を予測してそこを埋める ナイト・ゴーント ども。 「くッ!」 隆一郎はテイル・ハーケンを振り回し、 ナイト・ゴーント どもを威圧する。しかし攻撃するにせよ、移動するにせよ、防御するにせよ、一瞬の停滞が生じる。 そこに抉りこむ バスカヴィル とその切先。斜めに走った剣撃が ヴォルカドゥス の脇腹を切り裂いた。浅くはない。人間なら内臓が飛び出ているような傷だ。 浴びせ掛けられる多弾頭ミサイル――そこから更に降り注ぐクラスターAP弾。 ヴォルカドゥス の装甲のあちこちが剥離し、光になって虚空に融けて散る。 同時に高度が下がる。隆一郎は空に留まろうとした。しかしどんどん降下してゆく。 隆一郎は気付いた。 ナイト・ゴーント が高度を保ったまま、 ヴォルカドゥス に追撃を仕掛けない。 どういうことか――回答はすぐに出た。 地上からの砲撃――林立する百門以上の対アバドン用対空火砲が一斉に火を吹いた。 十種類以上の弾頭からなる弾丸の豪雨の前に、地上最強であるはずのオリジナル・ソルディアンは失墜をやむなくされた。 『何この数? 楚の歌でも歌うつもりかしら?』 『ローマ騎兵ですら聖歌隊を保有する時代ですからね』 『じゃあ、彼の首が銀の盆に乗せられる前に行きましょうか』 『そうですね、馬と心中する前に間に合えばいいのですが』 隆一郎は一瞬だけ気絶していた。しかし機主が意識を失うことをソルディアンは許さない。微弱な電撃が隆一郎の全身に流され、ショックで覚醒を余儀なくされる。 「……ッ!」 そうだ、気絶などしている場合ではない。不快感に耐えて ヴォルカドゥス の身を起こし、隆一郎は周囲を見渡す。 ヴォルカドゥス が墜落した地点は盛大に擂鉢状に陥没していた。周囲にはやはり銃砲を構えた ティンダロス の群れ。上空には ナイト・ゴーント が飛び交い、海上にはやはり ガグ が空間圧縮砲の照準を据えているのだろう。 ヴォルカドゥス は蒼い『血』で全身を染め、左手の先は失ったままだ。柊隆一郎の戦意は損傷の修繕のために吸われ続け、そのためにか萎えかけているのを自覚する。 ここまでやってなお、相手からの降伏勧告はまだない。こちらが完全に戦闘不能と確認できるまで叩きのめすつもりか。それとも機主が死ぬまでやるというのか。 眼前、50mほど先に バスカヴィル が降り立つ。そのまま、だらりと剣を下げた姿勢のまま バスカヴィル は動かない。 「これは……やっぱり、自分自身で手打ちにしてやるってことか?」 隆一郎はうめくように呟いた。非合理的と言えば非合理的だ。 ヴォルカドゥス に砲弾をダース単位で浴びせ掛けてやれば良い。 一方で合理的と言えば合理的でもある。 コルヴァズ の魔剣でソルディアンを斬ることが出来るのは証明済みだし、最悪でも バスカヴィル 一機を犠牲にして包囲殲滅戦に移行すれば良い。 「上等だ……!」 いずれにせよ挑戦に乗る以外に選択肢はありえない。隆一郎は右腕の ゼオ・ソード を伸ばす。 そして、二機が走る。 交錯する刃。火花は、しかし上がらない。 ゼオ・ソード が刀身の半ばから断ち落とされていた。 それを悟る一瞬のこと。 ヴォルカドゥス の右腕も、肩口から斬断されていた。 次いで、隆一郎の視線が左に大きく傾いだ。 いや――隆一郎はすぐに理解した。 傾いでいるのは機体だ。 ヴォルカドゥス の左脚部が膝上から切断されていた。 その首に魔剣の切先が突きつけられる。 左脚も右腕も光になって虚空へと消えてゆくのを、隆一郎は見つめている。 「…………」 悪あがきは100秒もしないうちに終わった。『機主の座』で、隆一郎は前のめりのまま敗北感を噛み締めた。 ヴォルカドゥス は片腕片脚の状態でも空は飛べるはずだ。しかしすぐさま追撃を受けるヴィジョンしか見えなかった。違うのは、それが砲弾かミサイルか斬撃でしかなかった。 あらゆる状況が王手詰み(チェックメイト)を隆一郎に告げていた。敗北を認めなければ、王は首を打たれるまでのことだった。 勝者と敗者。燦然と輝く太陽の元、二者は凝然として動かない。敗者たる隆一郎はともかく、勝者の方は何を思っているのか。微動だにしない切先からは何の感情をも窺うことは出来ない。 ではあの饒舌さは、一体なんだったのだろう? にわかに隆一郎の胸にヴィガスという男への興味が湧いた。顔を合わせてみたいとさえ思った。 その願いは叶わなくなった。 煮え切った盤上が覆される時が来たからだ。 閃光が蒼穹を色褪せさせる――ついで、天それ自体を打ち据えたような轟音が戦域に響き渡る。 バスカヴィル が身を後退したのはその直前だったか、直後だったか――いずれにしろ素晴らしい反射神経を賞賛するにやぶさかではなかった。 隆一郎の目の前には、鋼が突き立っていた。ソルディアンサイズの板金をそのまま鍛えたかのような、しかし鋭利な光を湛えた刃金の刀刃だ。それが斜め45度の角度で、柄近くまで地面にうずもれていた。 隆一郎は刃が放たれた方向を観た。 ナイト・ゴーント の包囲網が徐々に解けつつあった。その無形の網を食い破り、二つの巨体が並び立っている。 一つは、青銅の骨格を鋼の衣で包んでいた。鋼の衣は幾多の無数の薄く細長い鋼で編まれた鱗鎧(スケイルメイル)だ。青銅製の髑髏に見えなくもない頭部には巨大な緑の眼が一つあるのみ。 一つは、蒼い。海底を思わせる蒼い装甲で、胴はコルセットを装着したようにくびれていた。頭部は女性的に小さく、そして整っている――羊のような短く巻いた二本の角が生えているのを別にすれば。 ソルディアンだ。隆一郎は直感する。 この二体はオリジナル・ソルディアンだ。 二体は ヴォルカドゥス を庇うようにして地面に降り立つ。 『ラスタバン――見事にやられましたねえ』 端麗な若い男の声――見事なクイーンズ・イングリッシュによる見事な呆れ声。 『何あんた、よくやったって褒めて欲しかった?』 こちらは若い女の声だ。言語の端々に残る訛りは――中国語の名残? 「いや俺何も言ってないし」 応えながら、隆一郎は直感する。こいつらは揃って厄介な性格の持ち主だ。 『〈イオディスカル〉ですよ』 男の方が言った。 「え? その機体?」 『傍受されてると思うので、割れている名前で言います。あちらは〈エイヒューンド〉』 女の方が手をひらひら振る。その指は人ならざる六本指だ。 『という訳で―― エイヒューンド 、君は空を任せます。僕はこの『黒犬』と地上を』 バスカヴィル に イオディスカル の緑の単眼(モノアイ)が向く。 『絶対にあんたの方が楽じゃないの?』 『それがそうでもないんですよ……第一、対多数戦闘には君の方が向いているはずです』 エイヒューンド の非難に、 イオディスカル が肩をすくめたように見えた。 『まぁいいわ。あたしはしこたまキルマークを稼がせてもらうとしようかしらん?』 やや身を屈め、それから電光の如く宙へ躍り上がる エイヒューンド ――トップスピードに至るまで、それこそコンマ数秒もかかっていない。 『――ゼオ・ソード!』 二機の ナイトゴーント が胴体から二つに別れた。その背後に現れた エイヒューンド の六本指の爪が、鋭利に伸びていた。 更に エイヒューンド の角が伸びた。それは大樹の枝のように分岐し、青白い光を帯びた。 『ヒューン・パルス!!』 閃く雷光――轟く雷鳴。うねり、のたくりながら雷の蛇が蒼穹を焼きつつソルディアンを襲う。それに接触した ナイト・ゴーント や シャンタックス が機能停止に陥り、脱出ポッドを次々と吐き出して落下する。それを見て、隆一郎が呟く。 「――電気か」 『そ。 ヴォルカドゥス が熱を操るように、 エイヒューンド は電磁力を操るの。そしてその応用の幅広さは、熱の比じゃないわ――例えば、電磁パルスで電子回路をショートさせるとか』 量産型ソルディアンは優れた兵器だ。しかし現行の科学技術で造られている以上電子機器の恩恵は受けているし、その弱点も甘受しなければならない。無論 ナイト・ゴーント らの機器にEMP保護は施されているが、 エイヒューンド の前にはそれすら意味を為していない。電撃に触れた回路は問答無用でショートし、焼け爛れ、破綻するだけだ。 オリジナル・ソルディアン エイヒューンド こそ、最新鋭兵器の天敵と言えた。 バスカヴィル が動き出す。その出鼻を イオディスカル が挫く。 『あなたがたの相手は、僕です』 そして高らかに叫ぶ。 『いざ征かん、 イオディスカル !!』 イオディスカル の、左右ある肩と腰の装甲の一部が盛り上がる。副腕だ。 鱗鎧を構成する鋼の一片が六枚、千切れ飛んだ。それは鋭く360度回転すると、肥大し、六本の刀刃と化していた。板金をそのまま鍛えたかのような、鍔や切先のない、原始的ながら鋭利な光を湛えた片刃の刀刃だ。 六本の刀刃が四本の副腕と二本の主腕部に、自ずから収まった。六本の腕にそれぞれ刀刃を掲げるその姿は、さながら東洋の武神。 『――イオド・スラッグ!!』 叫びと共に、副腕の四本の刀刃が獰猛に回転して宙を疾走する。超音速の空飛ぶギロチンだ。その威力はあらゆる物質を紙細工同然に斬り裂いてゆく。ウーツスティール合金製のソルディアン・フレームすら例外ではない。 イオディスカル の念に誘導された刀刃は地上の ティンダロス のみならず海中の ガグ の胴体や兵装を破壊していった。 ティンダロス や ガグ を薙ぎ倒し、刀刃はなおも回転を緩めず バスカヴィル の背後に迫る。 ヴィガスの反応はやはり迅速だった。タイミングをずらして襲い掛かる四本の刃を、身を捻ってかわし、魔剣で撃ち落とす。 『ふん、やはりこの程度では倒せませんか』 戻ってきた四本をつかみ、鋼片ほどのサイズに戻しながら イオディスカル が呟くように言う。 『 ヴォルカドゥス 、飛びなさい』 「……大丈夫か?」 『僕の心配をしてるんですか? 君はさっさと飛べばいいんです』 口ぶりに隆一郎の腹立ちを喚起するものがなかった訳でもないが、逆らう理由もまたなかったので、隆一郎は ヴォルカドゥス を宙に浮かせた。数門の火砲が ヴォルカドゥス に向けられたが、 イオディスカル が刀を投じて切断した。 空中では エイヒューンド が他のソルディアンを圧倒していた。大樹の枝のように分岐した角が明滅するところ電光が迸り、回路をショートさせられた ナイト・ゴーント らが機能不全に陥ってゆく。これでは編隊などあったものではない。 ナイト・ゴーント はEMPを恐れて逃げ惑い、 シャンタックス は上空で旋廻しているだけ。時々行なわれる散発的な反撃は、しかし エイヒューンド の前には効果を示さない。――電磁バリアか? そうだとしてもおかしくはないが。 「……本当に何でもありだなぁ」 隆一郎はそう思う。海中の ガグ が腕部と一体化した空間圧縮砲をこちらへ向けたところへ、 「――ヒューン・ボルト!」 エイヒューンド の右手の六本指がしなり、紫電の尾を曳きながら弾丸が射出された。空間圧縮砲が貫かれ、爆発―― エイヒューンド の左手には ナイト・ゴーント から奪ったらしい、どこのパーツだったかも曖昧になった金属部品が握られていた。あれをレールガンの弾体として撃ち出したのだ。恐らく、隆一郎を救ったあの刀刃もこの技で放たれたのだろう。まさに何でもありだ。 バスカヴィル がアサルトモジュールのスラスターを吹かし、空へ舞い上がる。 『しかし、そうはさせません』 イオディスカル が バスカヴィル に喰らいついて来た。主腕の二刀が揮われる。 バスカヴィル はそれを魔剣で受ける。剣撃の勢いを受け流すために、両者は横になったS字を描くように離脱し、また剣を撃ち交わす。 『む――やはりこの二本だけではその コルヴァズ には見合わないようです』 イオディスカル の二刀の刀身にはその半ばまで罅が走っていた。もう一度魔剣と撃ち合えば折れ砕けるのは必定だろう。 イオディスカル が脚を止めて二刀を惜しげもなく棄てた。 反転し、間合いに入った〈バスカヴィル〉が魔剣を揮う。 「受けろ、〈シオムバルグの刃衣〉!」 瞬間――〈イオディスカル〉の鱗鎧の鋼片が剥がれ、刀刃となった。その数、二百。二百もの刀刃が「盾」となる。 魔剣が刀刃の「盾」を噛み砕く、壮絶な金属の破断音。それはいつまで続くのかと聞く者に思わせた。 斬撃が止まった。 『……94本!』 勝ち誇るように イオディスカル が言った。94本の刀刃と引き換えに、 バスカヴィル と魔剣 コルヴァズ を止めたこと。それは十分に勝利に値する戦果に違いなかった。 バスカヴィル の頭上に刀刃が浮いていた。頭部にコクピットを有するソルディアンに対して、それは明らかに殺意の顕現だ。 『殺傷許可は出ていない――が、あなたには死んで頂きたい』 刀刃が振り下ろされた。 バスカヴィル は僅かにアサルトモジュールを噴かした。刀刃が狙った位置がずれ、左片口から腕部を切断した。 バスカヴィル は背部のモジュールを切り離し、海中に没した。 ゆったりとした速度で エイヒューンド が イオディスカル に寄る。 『……獣の反応ね、まさしく』 『やれやれ、後顧の憂いは断ちたかったのですが』 生身だったならば イオディスカル は肩をすくめていたに違いない。 周囲は残骸で溢れていた。バラバラになった ティンダロス もあれば、殆ど無傷と変わらない ナイト・ゴーント もある。残敵数はざっと見積もって500機。都合、アブラクサスが導入したその半数が失われたことになる。 『でもまあ、こんだけやれば十分よね。やりすぎなくらいがいいさ準備はOKって言うし』 二体は難を避けていた ヴォルカドゥス を挟んで、肩を組むような姿勢になった。 「な、何するんだ?」 『あらまあ。あんた、連中が反撃の準備を立て直して、かつ増援が来ても大歓迎なのね? そんなにキルマークを増やしたいなんて野心的ねえ』 「すいません勘弁してください」 ひょっとしたら泣き声になっていたかもしれない。もうこれ以上銃火の前に晒されるのはご免だった。 『では、最大出力でお願いします』 イオディスカル が催促する。 エイヒューンド は大儀そうに返事する。 『結局あたし頼みなんだから……ま、しゃーないか――ヒューン・シフト!』 ぐん、と重力に引かれる感覚。隆一郎は最初、何が起こったのか分からず――ようやく理解した。 島が見える。まるごと。それがどんどん遠ざかってゆく。 超出力の電磁推進――弾体と化したオリジナル・ソルディアン三体は、それこそ弾丸の速度で戦域から離脱した。 「目標失探。これにて ゲオルギオ 作戦は失敗した」 男がうっそりとした声で告げる。頬は削げ、額が後退しかけた、長髪の中年男だ。背は軍人としては決して高い方ではない。だが、彼の一挙手一投足に、艦内の誰もが怯えていた。 蜂のような運輸用ソルディアン ビヤーキー が二機がかりでコンテナを運んできた。それを海に落とす。自動回収コンテナ ビッグ・マウス はその名の通り大きく口を開け、ソルディアンの残骸を回収してゆく。海中に沈んだソルディアンの数は200前後と見られ、それら全ての残骸を収容することはたった一基の ビッグ・マウス では無論不可能だ。コンテナを腹に抱えて空輸し、海に投下する ビヤーキー の姿がしばらく絶えることはなかった。 『 コルヴァズ と バスカヴィル を回収しました』 「そうか」 部下の報告に、男は短く応えた。優先すべきは コルヴァズ で、ヴィガス乃至 バスカヴィル は二の次。そういう説明を男は受けている。いくら予算をかけようとも、ヴィガスも バスカヴィル も再現が出来る。 しかし超古代文明の遺産である コルヴァズ に代替など存在しない。 男の個人用携帯端末に通信が入った。 『ヘイミッシュ・マックール、私だ』 男――マックールは報告を行なうべき相手に、簡潔に言葉を告げた。 「失敗ですよ。ゲオルギオなんて如何にもな名前をつけたのに、トカゲ一匹獲れなかった」 『今回の作戦は私の発案だ。お前が責任を感じる必要はない』 「責任を取ったところでさして痛くも痒くもない御方が言うことじゃありませんね」 『違いない』 笑いを含んだ声。いささか辟易しながら、マックールは「ところで」と言った。 「ところで――あちらは三体も揃いました。これで手出しは出来なくなった。大いにしにくくなった」 オリジナル・ソルディアンと量産型ソルディアンの戦力比、そしてアブラクサス財団が一戦闘区域に投入出来る戦力からして、これがオリジナル・ソルディアンを無力化出来た、残された唯一の機会だった。それが潰され、「あちら」が実動に足るオリジナル・ソルディアンを三体揃えた今、チャンスはほぼ絶無となった。 『お前がやるべきことを全てやったのは理解している。ただ、あの二人の反応が迅速過ぎた。それだけは私にも計算外だった』 「驚きましたな、フェトルガス。あなたにも計算外とか、予想外とかいう概念が存在するとは」 『私とて人の子だよ』 そいつはどうかな、とマックールは心の中で呟く。 『マックール、敗戦処理を終え次第、ヴィガスやお前の猟犬と共に研究所に来い』 言い残し、一方的に通話が切れた。 仰角45度で「射出された」(それとも「した」?)三体は、180km進んでやや失速し、190kmに入って降下の一途を辿った。降下地点に ゲニウス 所有の大型空母 アンブロシア が事前の連絡によってやってこなければ、遭難ぐらいは覚悟する必要があっただろう。 三体のソルディアンは空母の甲板をごく短期占有した後、光となって解けるように掻き消えた。 隆一郎は父ジャック・フェルトンを罵倒するか殴るかしなければ気が済まなかったが、ジャックが足早に近づいてくるのを見た時、その気も失せた。ただ言わなければならないことはあった。 「死ぬかと思った」 父は短くこう言った。 「本当に済まなかった」 二人のソルディアン機主――一人は見目麗しい東欧系の青年で、一人は見目麗しい東洋系の美女だった。 二人とも、一つか二つは隆一郎より年上に見える。つまりはあまり歳が離れていないということだ。 ――二人称は「お前」でいいか、と隆一郎は考えた。 「君たちにも感謝しなければならないな。シャーリー、ご苦労だった」 「いいってことですって、ジャックさん」 中国系の美女――黎莎莉(リー・シャーリー)はベンチが用意されるとすぐに全体重を預けた。 あの電磁推進はやはり相当な負担がかかったらしい。洗ってすぐの絨毯みたいな状態だな、と隆一郎は思った。長い黒いポニーテールがベンチからはみ出して自己主張している。 「でも……もうこいつらを抱えて全速力で飛ぶなんて真似はしないわ……こんなことは、もう、ご免です」 そんな彼女を横目に、東欧系の青年の方は至ってピンピンしていた。 「ジャック、これがあなたの息子ですか? あまり似てないな」 「「ああ、よく言われる」」 父と息子の台詞がかぶった。 東欧系の青年は隆一郎より4、5センチほど背外低いだけの、金褐色の髪をした、世間的に見れば隆一郎より遥かに正統派の、線の細い美男子だった。 「エトヴェシュ・イシュトヴァーンです。ヴァイクで結構ですよ」 「……一つ訊いていいか?」 「ああ、君の訊きたいことは分かります――『エトヴェシュ・イシュトヴァーンという名前の一体どこにヴァイクという愛称が導き出される要素があるのか』ということでしょう? 何度も訊かれましたよ」 「……ぬっく」 「その質問の答えは、君の母国語ではこうです――『ググレカス』」 「親父、こいつぶん殴っていいかな? 答えは訊いてないけど!」 エトヴェシュ・イシュトヴァーン―― イオディスカル 。 黎莎莉―― エイヒューンド 。 柊隆一郎―― ヴォルカドゥス 。 ここに、地上最強の兵器オリジナル・ソルディアンが三つ揃った。 しかし、まだ始まったばかりでしかない。 四人目たるべきクローディア・クロムウェルは今なお幽冥の境に立ち竦み、覚醒には至っていない。 柊隆一郎も半身たる ヴォルカドゥス の本質に触れてさえいない。 そして彼らは「影」たる四人を知らず、七柱の天使の王を知らない。 彼らは物語の入口に立っただけに過ぎなかった。今は、まだ。 第三話 了
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1726.html
58 :ヤンデレ世紀 [sage] :2010/07/12(月) 02 51 16 ID U4mIxQhT あれから結局4人での登校。 相変わらず土田さんは僕にべったりだった。 胸を押し付けているつもりなのだろうか、僕のアームに自分の胸を当てている。しかし何だろうこの残念な気持ち。無い乳押し付けられても 「嬉しくない。」 「何が?」 おっとあぶない。危うく心の本音が全て出るところだった。あぶないあぶない。 校門をくぐると僕らの教室がある校舎が今日も微妙な雰囲気を漂せながら立っていた。色が抹茶色ってどゆこと? 時間帯的には、一番生徒が登校しているはずなのだが、時代が時代。『ヤンデレ世紀』と呼ばれるこのご時世。 不登校が6分の1を占め、大体の女子(ヤンデレだろうな)は 朝早く登校して愛しのあの人のげた箱、机にロッカーにラブレターや何かを忍び込ませたり、逆にそれらを排除したりと忙しいためこの時間の校門は寂しい状態になってる。 げた箱に到着。あっ!? 「そうだ。」 「どうしたの?佐藤君。」 いけないいけない。今日の出来事……石田君&木根さんカップル欠席を彼らの担任教師の青塔(あおどう)先生に報告しとかなきゃ。 「ごめん、3人共先に行ってて。僕はブルタワにちょっと用事があるから。」 59 :ヤンデレ世紀 [sage] :2010/07/12(月) 02 51 56 ID U4mIxQhT 「佐藤君っ!何言ってるの!?私も行くよ。」 やはりあなたは来ますか………まあいいけど。 「んじゃ、俺らは先行ってるわ。」 「うん。じゃあ。」 「ああ。」 「………」 井上と都塚さんと別れる僕と土田さん。それにしてもどうしたんだろう都塚さん?途中から元気なくなっちゃって。 いつももクールな彼女はあまり僕らの会話トークに混じらず、井上にべったりの都塚さんであるが、今日に限っては井上に抱きつかずに一番後ろで静かに歩いていた。 その時の雰囲気は近寄り難いものだった。 井上も心配そうに時々後ろに視線をやり、チラチラと都塚さんを見ていた。 気分で二人を何故か見送り僕は気付いた。いや、これは感じたの方が正しい。 井上と都塚さんの僅か数センチの隙間に二人を隔離する壁があることを。 そんな二人を見送った後、僕と土田さんは職員室に向かった。 「そうか………わかった。報告ありがとう。」 「いえいえ、それでは失礼しました。」 ブルタワに例の件を報告し、退出する時 「お前も気を付けてな。」 と苦笑しながら言うブルタワに軽く頭を下げた。 ちなみにブルタワは青塔先生のあだ名でーす。 60 :ヤンデレ世紀 [sage] :2010/07/12(月) 02 54 41 ID U4mIxQhT 職員室から出ると、扉の前にいた土田さんが飛びついてきた。 昔だとこの行動は非難の眼差しをくらい、とても恥ずかしい行動であったらしいが、現代じゃ一般的なワンアクションにしか過ぎない。 「さあ、早く遊びに行こ。」 「土田さん。今から教室だよ。」 「えっ!?何でいいじゃん?………それとも教室に気になるメスでもいるわけ?」 土田さんの瞳かり光が消えた。だが、日常茶飯事化しているのでいつもの対処方法で土田さんをなだした。 「僕と土田さんの将来のためにさ…ね?行こう?」 と土田さんに呟き顔を真っ赤にしてしまった土田さん。 ヤンデレは無駄に妄想力が膨大なので、こんな時とかには便利なもんだ。 先ほどの言葉には、『勉強しないと大学行けないよ?』という意味なはずなのだが、土田さんは違う意味で 捉えたらしい。 用事を済まし、教室に向かった。 教室に着き、入ると机が37席並んである。しかし今現在の教室の人数は20人弱。朝のHRまで10分もないのにまだ半数近くが来ていない。 別にインフルエンザなどが流行しているわけではないのだがこの人数の少なさ。ありえなっシング。 61 :ヤンデレ世紀 [sage] :2010/07/12(月) 02 55 16 ID U4mIxQhT 学級閉鎖は僕が生まれてくるときには廃止になってしまったため、仮にクラス一人しかいなくてもしっかり平常授業をするわけだ。ある意味得するよね。勉強的に。 今は37席の机があるが最初は39席だった。何故2席減ったかというと亡くなったから。 一人は男子、もう一人は女子。久保君と安藤さんだ 率直に結論を言うと二人は心中した。久保君は強制的だったが。 久保君とは結構仲の良いほうだったので死んだことを知った時は複雑な気分だった。 暗い過去に浸っていると声をかけられた。 「よお、瀧斗。」 「おお!!中林。…怪我とか大丈夫?」 今朝、いろいろな打撃をくらった中林が教室にいた。 「保健室………はお取り込み中だったから、保健室前のセルフサービスコーナーの湿布をたくさん貼ったから平気だよ。ぶっちゃけ慣れてるし。」 まだどこか痛いんだろうね。引きつった笑顔を無理やりつくり安心させようとする中林。 「中林君、今日も大丈夫?」 後ろから中林を心配する声が聞こえた。 「咲橋///だ・大丈夫大丈夫~」 さっきより元気を取り戻す中林。そしてそれを聴いて安堵するクラスメイトの咲橋 望(さきばし のぞみ)さん。 62 :ヤンデレ世紀 [sage] :2010/07/12(月) 02 56 16 ID U4mIxQhT 「そう?良かった///」「心配ご苦労、咲橋殿。」 「うん!!よきにはからえ?」 「その言葉の意味わかってないだろ咲橋さんよ?」 咲橋殿…いや、さんは唯一、中林のことを『しげみ』と言わない女子だ。そして何よりヤンデレ症候群じゃない数少ない普通の可愛い女性でもある。 しかも中林のことが好きらしい。 前に咲橋さんから土田さんの目を盗んで相談を受けたことがある。勿論、中林のことで好きな人はいるか?とか、タイプは?とか質問で全くヤンデレ成分がなく、相談に乗っている僕も久しぶりに微笑ましい気分になった。 そして中林も最近、咲橋さんのことを気になってきている。 僕に相談してくるのも時間の問題かむね。 それから二人は僕の存在を忘れたかのようにとても楽しそうに話していた。 最近、この二人が一緒にいると、とても二人が幸福なベールに包まれて輝かしく映る。青春の一ページとやつだろう。見ているこっちも幸せな気持ちになる。 男子は勿論、土田さん含め女子全員もこの二人が談笑してる時は、優しい表情に変わる。 土田さんもいつもあんな感じだったらな… 淡い気持ちを持ってしまうほど、この二人はそれだけの力を持っていた。 以上学校での朝の出来事でした。 63 :ヤンデレ世紀 [sage] :2010/07/12(月) 02 57 17 ID U4mIxQhT ~~~~~ どうして?どうしてなの? 何であんな楽しそうなの?嬉しそうなの?幸せそうなの? いつもいつもいつもいつもいつも私はお前のことを見ているのに。愛しているのに。 お前が長髪好きだから髪も伸ばしたのに。 お前がカレーが好きだからカレーをおいしく作れるようにしたのに。 今日だってポニーテールが好きと言ったからポニーテールにしたのに。 お前は何も言ってくれなかった。 何で私しか見ようとしない? 何で他の奴らを見る? 何で私がいなくて和気あいあいとしていられる? 何で私にこんな思いをさせている? わたしがこんなにもアイシテイるノニ?
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1782.html
353 :我が幼なじみ ◆ZWGwtCX30I :2010/08/14(土) 05 21 14 ID EOiftjNi 俺は学校から帰ってすぐに、風呂に入った。 沢山汗を掻くこの季節、風呂に入らないと気持ち悪くて仕方がない 湯船に入った俺は、夏休みは何をするか、宿題は何時するか、そんな下らない事を考えていたが、結局答えは出ず 風呂から出た俺は、着替えてすぐに寝てしまった ~~~~~~~~~ 「起きて、お兄ちゃん!」 少し高めの声が、頭に響く。風奈の声だ 「ん~……風奈ぁ?」 「ご飯できたって!」 俺がありがとう、と言うと、風奈はうん、と言ってすぐに部屋を出ていった 俺は大きく欠伸をして、食卓へ向かった 「頂きます」 しばらく、無言で飯を食っていると 「優……食べながらでいいから聞いて頂戴」 母はそう言って俺の顔を見てきた 「……何?」 354 :我が幼なじみ ◆ZWGwtCX30I :2010/08/14(土) 05 22 37 ID EOiftjNi 俺がそこで聞いたのは、俺の両親は、俺と風奈を残し、由美子の父親と一緒に海外に転勤し そして、由美子が俺の家に住む という衝撃的な事だった。 当然、俺はいきなりの出来事に驚き、何故、今までそんな大事な事を言わなかったのかと、両親に怒鳴り散らした しかし、両親はただひたすらに謝り続けるだけで、話しにならず、俺は部屋に戻ろうとした しかし、そこで俺は、風奈が居ない事に気付き、母に聞く 「風奈には言ったの?」 そう聞くと、母は俯きながら言った 「まだよ……」 「なら、風奈には俺が話すよ」 355 :我が幼なじみ ◆ZWGwtCX30I :2010/08/14(土) 05 23 48 ID EOiftjNi 俺は母の返事を聞かずに、部屋へ戻っていった ~~~~~~~~~ 俺は部屋で、風奈にどう説明するかを考えていた いや、どう説明するかっていうのは少し違うか? 説明するだけなら簡単だ。 問題は説明した後だ、風奈はきっと泣いてしまうだろう できることなら、俺は大事な妹を泣かせたくはない、それが兄ってもんだろう しかし、泣かさずに納得させるなんてことはできないだろう だから、早く覚悟を決めないといけないんだ…… どんなに風奈が泣いたって、俺が風奈を慰めて、泣き止ますんだ これも又、兄の役目だと、俺は思っている
https://w.atwiki.jp/lastsin/pages/78.html
今日はあいにくの空模様だった。 少年は浮かない顔で、窓越しに曇り空を眺める。 その理由はラスプロにあった。 朝から緊急メンテナンスを行っており、ログインすら出来ない状況だ。 緊急メンテナンスくらいたまにはある事だが、彼は妙な胸騒ぎがしていた。 「レイさん元気無いね」 「そうだね…昨日のお礼言おうと思ったのに」 「早くメンテナンス終わると良いけど」 陽平と優輝は、落ち込む彼を遠巻きに見つめていた。 放課後、陽平は意を決して励を遊びに誘う。 「レイさん、よかったらこれから遊ばない?」 「誘ってくれて嬉しいけど、今はそんな気分じゃないんだ…」 彼の呼びかけもむなしく、励を引き止める事は叶わなかった。 陽平は去っていく親友の寂しげな背中を、見ている事しか出来なかった。 励は帰宅して早々、ベッドに倒れ込む。 鞄を放り出して、制服も脱ぎっぱなしのまま。 「暇だな…」 今まで空いた時間を、全てラスプロに注いでいたのだから当然の事だ。 気晴らしに新しいソシャゲを手当たり次第に始めてみる。 ソーシャルゲームの王者『パズル&モンスターズ』に、オタク層から支持されている『プリンセスマスター』、他にもデジタルカードゲームや音楽ゲーム等、様々なジャンルのソシャゲをプレイした。 魅力的なストーリーに、可愛らしいキャラクター、美しいビジュアルや音楽は数知れずあるが、彼の心を満たすゲームは何一つ無かった。 彼にとって、ユキと過ごす時間は何ものにも代えがたいものなのだ。 心にぽっかりと空いた穴は、決して埋まる事無く時間が過ぎていった。 数日が経過したものの、メンテナンスは依然として続いていた。 公式からも原因を調査中としか発表されていない。 励は朝ご飯を食べながら、滅多に見ないニュースを見ていた。 最近、各地で頻発している失踪事件についてだ。 中学一年生の女の子が学校に行ったきり、帰って来ないという。 失踪事件について知ってはいたものの、励の住んでいる地域で発生したのは初めてだった。 「最近こういう事件多いな…」 被害者の殆どは子供で、夜遅くに発生している事から、世間では誘拐事件と言われている。 それも組織ぐるみの大規模なものと。 しかしこれだけの規模の誘拐事件にしては、不審な人物や車の目撃証言が一切無いのは不可解である。 誘拐というより神隠しとでも言うべきだろうか。 「次のニュースです。十八歳の少年が、母親に腹を立てて包丁で…」 「そろそろ行くかな」 ニュースが切り替わると、テレビを消して学校へと向かう。 失踪事件を受けて、入江高校では緊急集会が開かれた。 部活は暫くの間中止で、授業が終わったら速やかに下校する事が決まった。 放課後に遊ぶ事は出来なくなったが、今の励には関係の無い事だった。 下校を余儀なくされたのは陽平と信明も同じで、久しぶりに一緒に帰る事に。 気まずい空気が流れる中、陽平が口火を切る。 「気晴らしにカラオケでも行こうぜ、二人とも」 「おっ、それいいね」 「お前ら、学校にバレたら下手すりゃ退学だぞ…」 説得しようとする励だったが、陽平の勢いに呑まれてしまう。 三人は学校から歩いて二十分程の距離にある、カラオケボックスにやって来た。 稼ぎが無い励にとってはカラオケ代も惜しいが、泣く泣くラスプロへの課金代を切り崩す。 それは毎日の食費を浮かせて捻出していた課金代だった。 「ドリンク取って来るけど、神坂は何にする?」 「あぁそうだな、メロンソーダで頼む」 信明がドリンクバーに行っている間、陽平は先陣を切って歌い始める。 励はスマホに入っているプレイリストを眺め、曲を選んでいた。 「はい、メロンソーダお待たせ」 テーブルの上に置かれた緑の液体を、躊躇なく口に運ぶ。 しかし予想と違う味に、体が拒否反応を示す。 何を混ぜたのか、したり顔の信明に問い詰める。 「メーロン茶だけど…」 彼曰く、メロンソーダとウーロン茶を混ぜたものらしい。 スマホに集中してよく見ていなかったが、改めて見ると普通のメロンソーダに比べて濁っていて色も濃い。 口直しをした後、励の出番が回って来て歌い始める。 最初は乗り気でないカラオケだったが、いつの間にか悩みなんか忘れて楽しんでいた。 楽しい時間はあっという間に過ぎ、辺りは闇に包まれていた。 「今日はありがとう、楽しかったよ」 「何だよ改まって、それじゃまた明日な」 そう言って、それぞれ別の道へと消えていった。 励は来た道をまっすぐ戻っていた。 入江高校を中心とした際、自宅とカラオケボックスは真逆の方向にある。 あまりこちらに来る事が無いせいか、昼と夜で印象が違く感じられた。 「あれ、この道こんな長かったっけ…」 そろそろ入江高校が見えて来てもいい頃なのだが、歩いても歩いても辿り着かない。 励はいつの間にか、知らない森に迷い込んでいた。 振り返ってもそこにあるのは見覚えの無い風景、戻ろうにも戻れない状況にあった。 「こんなに広い森、入江地区にあったかな」 森は不気味な程静かで、生き物の気配が全くしなかった。 彼は宛ても無く森を彷徨っていたが、ふとスマホの存在を思い出す。 スマホを取り出して確認するも、残念ながらアンテナは圏外を示していた。 彼はダメ元でラスプロを起動する。 最初から期待はしていなかったが、明らかにいつもと挙動が異なる事に気づく。 緊急メンテナンス中の表示が出るはずが、画面に浮かび上がって来たのは一枚の地図だった。 恐らくこの森の地図だろうか。 地図には赤い点滅と青い点滅が表示されていた。 励はこの点滅を頼りに、森を探索する事にした。 青い点滅は自分の動きと連動している事から、現在地を表しているのだろう。 そこで彼は、赤い点滅を目指して進む。 恐怖を押し殺して、草木をかきわけながら。 そして赤い点滅が示す地点に辿り着いた時、目の前に広がる光景に目を疑う。 「ここは一体…」 彼の目の前には、巨大な遺跡がそびえ立っていた。 夢でも見ているのか、それともタイムスリップしたのか、はたまた流行りの異世界転生なのか、励は思考を巡らす。 頬をつねってみると痛みを感じる事から、どうやら夢ではないらしい。 考えていても埒が明かないと、単身遺跡の中へ乗り込んだ。 彼は恐る恐る遺跡内を探索する。 遺跡内は不気味な像やら壁画が、数多く見られた。 文字を読み取る事は出来なかったが、壁画には凄惨な出来事が描かれているのが分かった。 それは魔導師に操られた鉄巨人が、人々を蹂躙している様子に見えた。 気分が悪くなった励は、すぐさまその部屋を後にする。 「ここを抜けたら例の地点か」 励は広間へと続く、長い通路を歩いていた。 近づくにつれ、マップに表示された赤い点滅は激しくなる。 広間に着いたものの、出口のようなものは見当たらなかった。 励が広間を調査していると、窪んだ空間を発見する。 そこには黒い球体が、台座の上に安置されていた。 彼が球体に触れようとした時、スマホからけたたましい警報音が鳴り響く。 遺跡が揺らぐ程の振動と巨大な影に気付き、励は急いで振り返る。 「嘘…だろ…」 うろたえる彼を、一体の鉄巨人が見下ろしていた。
https://w.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/3954.html
第三話 「だから、その、帰らないで……」 彼女が羨ましいと、私は思う。 今の私には、あれほどまでの勇気はないのだから。 涙を流して、顔をジュンに向けることが出来ないでいても、彼女は必死に伝えている。 私にもそれが痛いほど分かるし、それだけに、彼女に少し嫉妬した。 恋愛のソレとも取れる告白が、私にとっては、ずっとずっと遠くにあるもの。 顔がくしゃくしゃになってしまうほど、自分の素直さを表に出せる彼女は、私にとっては羨望そのもの。 彼女が羨ましいと、私は思う。 すこしだけ後ずさりして立ち止まることが許される世界から、旅立とうと「努力」する雪華綺晶。 自分の力で1秒を巻いた彼女は、当然のように祝福されるべきだ。 私は未だ、その9秒前にいる。 自分の殻の中という、無限の領域にある白い世界から、私は踏み出せずにいる。 雪華綺晶自身の、雪華綺晶のためにある出口を見つけた彼女が、羨ましい。 私のための出口は、ドコにあるんだろう。 「頑張ったわね、雪華綺晶」 本当にそう思う。 きっと、相当の勇気を使ったでしょうに。 私には、あれほどの涙を使う勇気もない。 私も素直になりたい。 私は素直になれない。 私から見る今の雪華綺晶は、本当に格好良くて、眩しいほどに真っ白で。 綺麗すぎて、正直に言ってしまえば、直視すら出来ないくらい。 手を伸ばしても、きっと手に入れられない。 すでに真っ黒になってしまったこの手では、こんなに近くても遠すぎる。 おろかにも、彼女に少し嫉妬した。 「うゆ……どうしたの?」 「何でも、ないわ」 何でもないハズはない。 横にいた雛苺に心配かけてしまっても、今の私には返事すら億劫だ。 自分の低さと、彼女の高さを比較して、それがどうしようもなくて、どうでもいいコトと気づいてたから。 彼女と私は彼岸の彼方。 そんなのとっくに知っていて、認められなくて、認めるしかなくて。 止められない薄黒い感情が心地よくて、それを嫌う自分もいる。 だって雪華綺晶は、どうしようもなく、私の妹なのだから。 「……僕だって、そこまで言われて断るほど、イヤな性格はしてないさ」 やっぱり、ジュンは優しい。 それは昔から知っている。 きっと彼も覚えていないだろう私たちの馴れ初めを、私は最初から知っている。 非情なまでに不確かだった世界から、私を助けてくれた最初の時を。 私だけが占めている淡い記憶に、私は依存する。 麻薬のように気持ちがいい、中毒性のある私だけの記憶。 それにすがって、逃げられなくて、甘えるように彼に寄り添う毎日。 だけど、私は素直じゃない。 外面専用の仮面をかぶって、私はいい人を演じる。 あは、やっぱり黒いじゃない。 「ほら、涙を流してるのよ、雪華綺晶。ここで優しさのひとつでも見せてあげないと、男じゃないわ」 「え? あ、ああ」 自分の保身のために、私はジュンの背中を押す。 私は私を演じないと。 それこそ、踊るだけのドールのように。 人形のように冷たい仮面に血液を通して、表情を作れる仮面に変える。 毎日くらい一緒にいるジュンにすらバレない至高の一品。 吐き気がするくらいに気持ちの悪い仮面を被って、溶けてしまいそうなくらいに気持ちのいいジュンのそばに。 今の私は、それほどまでに汚かった。 「あ、雪華綺晶」 「は、はい!?」 「そんな驚くなって……。ほらこれ、涙拭いておけよ。僕が泣かせたみたいで、ちょっと、な」 「あ、あ、ゴメンなさい!」 そして、ああやっぱり。 雪華綺晶は私の可愛い妹で、ジュンは私が触れてはいけないくらいに優しい。 だからこそ、取られたくない。 彼は私のものでいてほしい。 何もかもを独占してしまいたいのに、外面の仮面が許してくれない。 そんなコトは分かりきっていて、仮面は勝手に言葉をつむぐ。 「ジュンを実験台にすればいいのよぉ。ジュンに慣れていけば、そのうち他の男にも慣れるわぁ」 ウソつき、取られたくないクセに。 ああ、お願いだから、そんなに綺麗な笑顔でお礼を言わないで。 私は私のためだけにやったのだから。 感謝する相手はジュンなの、だからジュンにお礼を言わないで。 お願いだから、やめて私。 コレ以上、黒く染まらないで。 「ありがとうな、水銀燈」 「……え?」 「ずっと心配してくれてただろ? 雪華綺晶のコトも、僕のコトも」 やっぱり、騙せている。 ジュンも私の仮面を信じている。 本当の私を知ってもらいたいのに、それがイヤでイヤでたまらなくて。 こんなに汚い私をジュンに見られたくなくて。 お願いだから許して。 仮面の私も、本当の私も見ないで。 「……あのな、水銀燈」 「な、なに?」 「毎朝いっしょに学校に行ってるんだから、それくらい分かる。だから」 「だ、だから?」 「そういう、泣きそうな顔すんなよ。ま、まァ、作り笑いより、今みたいな素直な表情のほうが好きだっていうか、その」 ……信じらんない。 今はちゃんと笑ってるのに。 反射したガラスを見ても、私は確かに笑ってるのに。 毎朝あれだけ冷たくあしらっておいて、ちゃんと私を見てくれていたなんて。 仮面の下まで見抜いておいて、それでも好きだなんて言ってくれて。 ずるい。 それが恋愛感情じゃないクセに、それでも嬉しくさせるなんて。 どんな女たらしでも、こんな卑怯な手は使わない。 せっかく離れようと決心できそうだったのに、最後にこんなに嬉しくさせるなんて、ずるい! 「そうそう、そういう顔。僕が言うのもヘンだけど、そっちのほうがよっぽど可愛いと思うぞ」 この男、ホント最低。 私の作った仮面にちゃんと騙されていたクセに、ちゃんと仮面の下も見抜いていた。 毎朝毎朝、私のウソに付き合って、ホントの私にも付き合っていたなんて。 それでいて、その奥のコトには鈍感だなんて。 ホンット、女たらし。 ますます離れられなくなってしまう。 他の男は簡単に騙せてきたのに、ジュンだけは騙せないなんて。 ホントにホントに、ツマンナイ男。 こんなに夢中にさせてくれる人なんて、性別問わずいなかった。 「あ、元気になったのね水銀燈! ずっと泣きそうだったから、ヒナ、心配してたのよ!」 「ええ、ありがとう雛苺」 どうやら、私の仮面はこの子にも通じていなかったようだ。 軽くクセっ毛な雛苺の頭をなでる。 可愛い妹にまで心配させるなんて、やっぱり私はダメね。 「うゆ、翠星石が怒ってるのよ」 「相変わらず、短気なヤツだな。ほら、水銀燈。さっさと行こう」 そう言って、二人は同時に手を差し伸べてくる。 無邪気な雛苺はともかく、ジュンは計算づくなのかしら。 私がそれを嬉しく思っているのを知っているとしか思えない。 もし分かっていないでやってるのなら、もう言葉もないわ。 「ま、普段の笑顔も嫌いじゃないけどな。水銀燈らしいじゃなくて、あれも水銀燈ってカンジだし」 「……サイテー」 「な、何がだよ!?」 今、この男はとんでもないコトを言った。 私は、私自信も、仮面の私も大嫌いだったのに。 ジュンは、そんな私を全部ひっくるめて好きだと言ってのけた。 嫌いじゃない、なんて、大好きだの裏返しだってコト、自覚ないのかしら。 ホント、昔っから変わらない。 やっぱり、今つないでいるこの手も、計算じゃないわね。 このド天然。 最低なのに最高な男なんて、どんなチートよ。 ヒドイ男、絶対いつか落としてやる。 「あ、来た来た。ほら三人とも、もうご飯だよ。水銀燈も……大丈夫そうだね」 「? な、何がぁ?」 「みんな心配してたのよ。あなたが落ち込むと、私も張り合いがないのだわ」 結論。 どうやらこの寮は、女たらしが集まる場所らしい。 私はどうしようもなく嬉しくなってしまう。 さっきまでの暗い考えを、綺麗に吹き飛ばしてくれそうな笑顔たちなのだから。 ジュンに仮面を取り上げられた私は、本心が勝手に顔に浮かんでしまう。 「い、イチャついてんじゃねえですぅ! 全く、さっさと席に着くですよ!」 「分かってるわぁ。そんなに怒鳴らなくてもいいじゃなぁい」 「落ち着いてよ翠星石。水銀燈が元気になったんだからいいじゃないか」 「そ、そーいう問題じゃ……」 「はいはい」 私はいつもの席に、ジュンはお客様だから、少し離れた場所に。 手を離すのが、こんなに名残惜しいなんて知らなかった。 おまけに、雪華綺晶がジュンの隣なんて、羨ましい。 ジュンも空気読みなさい。 私だけじゃなく、雪華綺晶まで落とすなんて信じらんない。 ついでに、他の何人かも狙ってるみたいだし。 何よ、天然ハーレム。 私だけ見るようにしてやるんだから、覚悟しなさい。 「全く、さっきまで落ち込んでたと思ったらもうニヤニヤしてるです。現金なヤツですぅ!」 「あ、あなたには関係ないわぁ!」 「むっきー! ひ、人が心配してればつけあがりやがってー! ですぅ!」 「ほら、二人とも。手を合せて」 私ったら、もう新しい仮面を作っちゃってる。 けど、まァいいわ。 今まで使ってた仮面より、よっぽど使い心地いいもの。 暗い私は、仮面と一緒にジュンに取り上げられちゃった。 多分、まだ私の心のどこかに小さく残っているのでしょうけど。 ジュンはちゃんと、私を見ていてくれたのだから。 また同じコトしたら、さすがにアレだし。 今度からは、自分で抑え込む。 まずはジュンの優しさに応えないと。 「みんな合わせた? はい、それじゃいただきます」 『いただきます!』 ジュンの愛は、私だけのものだもの。 そうね、ライバルを蹴落とすってのも、アリかもしれないわね。